さいきん悪いことばっかりで目立ってたせいか、色んな方とお話する中で、「西宮の政治はあかん」というお言葉を頂きます。
一方、そんな時に「でも、その政治家を選んだのは私達やからね…」と仰る方も多くて。
この感覚って、ほんま大事なことやなぁと思います。
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実は、私はその先に、さらに重要なことがあると思っていて。
それは、本当に政治を変えたければ、「自分自身が議員になることもできる」ということ。
…当たり前のことなんですけど、これってすごくないですか?
今の日本で、選挙に出るための条件は年齢のみ。25才以上でさえいれば、経歴も性別も職業も収入も関係ない。立候補する、という選択肢は全ての人に開かれています。
私かなりの活字好きで、意味が分からなくても小学校低学年から新聞を読む、ちょっと変わった子でした。分からないながらに感じてたのは、政治ってロクでもない世界だということ。バブル崩壊とほぼ同時に生まれ、育った時代が失われた20年の真っ只中だったせいかもしれません。景気は悪い、ニュースは暗い、でも政治家といえば不正や失言ばっかり。私自身もともと「政治なんて…」と強く思っていた1人でした。
そんな私が政治家を目指そうと思ったきっかけ。それこそが「自分自身が議員になることもできる」と気付いたことでした。その権利、今の日本にはちゃんとあるんですよね。有難いことに。
政治を批判することは簡単です。でも、その政治家を選んでるのは自分達で、自分にも立候補するという選択肢がある。その権利を行使せずに、批判だけするのは無責任じゃないのか?本当に良くないと思うなら、自分でやるべきじゃないのか?そんな思いを徐々に抱くようになりまして。
人生をどう生きるか、自分の使命とは何か。そんなことを考えさせてくれる恩師や学校との出会いもあり、私は政治への興味を深めていったのでした。
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もちろん、政治を批判するなら議員になれ!と全ての人に強要したいわけではありません。公約に取り組んでいるか。不正はしていないか。そんな厳しい目でチェックする市民・団体の存在が大切だということは、十分に理解しています。
でもね、たまに言いたくなるんです。
あまりに強い批判や、政治家の存在を全否定するような主張に出会うと。
…そんなに言うんやったら、ご自身が政治家になりはったら?
少なくとも私は、そう思われることが嫌やった。自分だけ矢の当たらないところから、好き放題に言うのは違うと思った。そんな感覚を、少しでも共有できたら嬉しい限りです。
なんでいきなりこんなこと書いてるかって、最近とあるところで「市議なんて、たった2000票集めるだけで居座れる仕事」的な記載を見つけてしまったんですよね。
…へー。たった2000票、ですか。ほなご自身がやってみたらいいんちゃいますかね。簡単なんでしょ?
自分の想い、政策に賛同してもらって、2000人もの人に自分の名前を書いてもらう。
それって、ものすごい重みじゃないですか?人生の全てを賭けても足りないくらい。それを「たった」という一言で切り捨てる感性は、私には理解できないです。
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それでも、いや、だからこそ、自分はやるべきことを愚直にやり続けるのみ。
書き始めたら止まらんくなっちゃって、つい夜更かししてしまいましたが。
明日からの1週間も、駅前で、ご自宅のポストへ、私の想いを全力でお伝えしていきます!!
※選挙への立候補については、国籍、そこに住んでいる期間、供託金の預け入れ等の条件が実際には存在しますが、文中では概ねの意味合いで「全ての人」と記載しています。