中っちゃんのブログ In Malawi

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What Can I Do for Malawian & Myself!

離任式 全校生徒の前で挨拶した。まさかここまでしっかりお別れ会をしてくれるとは思わなかったなぁ。拠点校のミトゥンドゥ小学校にて



最後のマラウイからのブログです。只今3月18日午前6時。あと7時間ほどでマラウイを発って南アフリカ共和国で1泊して、香港経由で成田に着きます。

ここのところ任地からの引き上げとか荷物のパッキングとか報告会、お別れ会とかで忙しかったから、なかなかマラウイを離れることを実感として考えられなかったなぁ。今も日本に帰ることが信じられない。


でも、よくよく考えると協力隊に参加してアフリカで暮らすことは考えもしてなかったこと。数年前までは「来年はあれをして、2年後はこういうことをして・・・」って日本で教員として働くことだけしか考えてなかったから。

っていう意味じゃ、貴重な中休み?かなとも思う。それにしてもいろんな経験といろんな人たちで出会ったなぁ。協力隊に参加しなければこんなことはなかったし。


4月1日からは日本の学校でまた働く。全く想像もつかないけど、次にマラウイの人達と会うときにもっといろんなことが出来るよう仕事を頑張っていこうと思う。


この2年間で考えたこと・・いかに俺は知らないことがあるんだなぁ、っていうこと。いろんな経験をもった隊員とか異国での生活とか刺激になることがたくさんあった。


これから日本でどういう心境でやっていくか心の整理が必要かなぁ。バタバタと日本社会に馴染んでいくんだなと思うけど、たまにはこの経験を思い出していきたいと思う。


それにしてもまぁ、いろいろあったけど、あ~、楽しかった、すごい世界にいたんだなぁ~!




離任式の時に思いもかけずもらったマラウイの地図の木彫り。名前を入れてくれたよ。




盛大に全校を集めての離任式。思わず泣いてしまった。


情操教育分科会のメンバー。彼らのおかげで楽しく充実した活動ができたなぁ。


帰国直前に、前にうちの近所だった子ども達と道で再会。左の白い服の子は急にいなくなっちゃって心配だったけど、久し振りに会ったらすっかり大きくなってたよ。この2年間で子ども達も大きくなったんだね。


活動でお世話になった2人。お礼にラーメンを作った。なかなか好評だったよ。


1年8ヶ月前

近所の子ども達はピアニカを弾きによくうちの庭に来てた。今はこの子達はほとんど引っ越してしまった。親が離婚したり、貧しくて食い扶持を減らすのに親戚の家に預けられたりしてるみたい。


始めの頃は外の青空教室で授業をしてたなぁ。日本じゃない経験だったぁ。


入院もした。正直、こっちの医療体制は遅れている。うちら日本人が行ける病院は外国人や外国の支援が入ってる病院が多い。この病院はアメリカ人の先生がいた。まぁ、無事に帰国できればそれでいいんだけどね。


お世話になった学校の先生たちと。やっぱり人との出会いは財産だね。


JICAドミトリーでの食事のひとコマ。皆で作って皆で食べる。こういう当たり前の生活も貴重です。隊員の皆には感謝しかない。楽しく過ごせました。

JICAドミトリーを管理してるジョセフさん。この人のおかげで嫌なことがあってもドミトリーの生活が楽しくなったと思う。

ウォッチマンと隣の家の犬。いろいろあったけどお世話をしてくれた。この人たちからマラウイのことを沢山考えられたし。

お別れを言いに巡回です



いよいよ任期も残り1週間くらいとなってしまった。


よく言われてきたけど、本当に1年過ぎたくらいから時間の経過が早い。最初は時間が長く感じてしかたなかったのに・・今は任地の人達と別れるのが本当に辛いなぁ。

本当なら任期は2年間だから、あと3ヶ月はあるんだけどね。1年9ヶ月っていうのは微妙な時間に感じる。やっといろいろなことが形になりかけてきたかなぁっていう時だったしね。


いろんな意味で集大成の時期です。



1年前に巡回先で撮ったアゴゴ(お婆ちゃんの意)。やっと発見。撮った写真をやっと渡せた!もしかしたら人生で初めて自分の写真を見たかなぁ~、っていうくらい田舎に住んでるアゴゴだったから、どうしても写真を渡したかった。まぁ、喜んでたからイイか。


赴任当初、毎日のようにうちに遊びに来てたカウンターパートの息子。今は学校に通ってて遠くのブランタイヤという第一の都市に住んでいる。本当にお世話になったから中華とかホテル代とか払ってあげたよ。生まれて初めて中華を食べたって。


俺が名付親になった「タロー」ちゃん。この子ともお別れかぁ。

まぁ、元気に成長して欲しいものです。やっぱりこっちの子の乳幼児死亡率は高い。大きくなるまでは心配です。


これが活動の集大成!って思った先生向け音楽の勉強会。


現地教員による現地教員のための音楽の勉強会。これがやりたかった。今まで職員研修をやってきたけど、何かしっくりこない。それは言葉の問題もあるけど、現地の先生が、「タカは日本人だから分かるだろうけど、私たちは貧しいマラウイ人。分からないよ」みたいな雰囲気を感じてたから。

今回は巡回先を通じて音楽の指導や俺について来てくれた人を講師にしてやってみた。9名だけの参加だったけど大きな一歩だと思った。やっぱり現地人同士だと現地語で質問したり意見交換できるから活発な会になった。これからもっとこういう研修会をやっていってもらえたらいいんだけどなぁ。


研修会の内容は講師役の先生と事前に決めた。進め方とか活動例の内容とか。何か刺激になればいいんだけどね。


巡回先の子ども達。この二人はこの間の合唱コンで司会をやってもらった。右の子は俺が帰国すると聞いて泣いてくれた。なかなかないことだと思った。こっちの人は結構引越しとか多くて、出会いと別れが多いから、結構ドライなんだけど、この子は違ったなぁ。前からこの子は頭がいい、って思ってたから司会にも抜擢したんだけどね。まぁ、何かこの子達にも残せたら嬉しいんだけどさ。


実はテレビにも生出演

同期の藤澤隊員が収録した合唱コンのビデオを朝の情報番組で流してくれた。日本なら『めざましテレビ』や『はなまるマーケット』くらいの番組。司会のこの人はイギリスに長くいたようでマラウイ人とは思えない感じだった。

まぁ、朝の7時に出演したけど緊張したなぁ。特に打ち合わせらしいものはなく、なんとなく始まってなんとなく終わってしまった。最後の質問では聞き間違えて変な返答をしてたらしいけどね、これも日本では出来ない経験だったなぁ。ありがたい機会だね。





優勝したムラレ小学校



数か月準備してきた合唱コンクール・リロングウェ大会が終了しました。

こうした外部の施設を使って、複数の学校を集めて、JICA以外の人や教育関係の人を集めて開く会は初めてだったから、なかなか大変だったけど、なんとか終了です。去年自分の任地で開いた合唱コンに感動してしまって、それならもっとたくさんの子ども達や大人たちにも味わってもらいたいと思って企画しました。「感動のオッソ分け」・・大げさかぁ 笑


予想はしてたけど、当日はトラブルもあった。やはり、バス。時間通りに来てくれない学校があったり、途中で警察の検問に引っかかってしまったり、司会の子が学校名を間違えてしまったり、トイレの水が出なかったりと、まぁ、いろいろあった。


でも、準備の段階や当日も手伝ってくれた隊員のおかげで何とか乗り越えられた。本当にありがたいことです。


今回は自分が所属する情操教育分科会のメンバーが企画運営をして、首都のリロングウェ市内の110の小学校を集めて開催した。その中で7校は予選で選ばれた学校だった。だから自分の任地で開いた合唱コンよりレベルが高かったなぁ。

そうした学校の中で自分の任地のムラレ小学校が優勝できたことはひそかに嬉しいことだった。久しぶりに、生徒の活動でドキドキしたり緊張したりしたなぁ。


俺の活動期間も残り1か月をきってしまった。そういう意味では集大成の行事だったかもしれない。それだけに思い入れもあった。

やっぱりマラウイの子達にいろんな経験をさせてあげたかった。

もちろん、練習した成果を発表する場も設けてあげたかったし、任地の子以外の子ども達と交流させてあげたかったし、途中で目にする大きい建物や水洗のトイレ、階段も見せてあげたかった。

子ども達の大半は恐らく自分の生まれた土地で暮らし、首都の景色(文明化されつつある)を見ずに一生を終えると思う。


そういう意味もあって今回の行事を開催した。


でも、会が終わったらホッとしたせいか声が出なくなり、病院に行かざる終えなくて活動も休んおでしまった。健康管理の方に「これでよく熱がでなかったね」と言われる状態だったみたい。確かに直前の1週間前くらいから喉が痛かったからね。まぁ、気が張ってたんだろうなぁ。


ホント、関わってくれたすべての人に感謝です。


ムラレ小学校の演舞。堂々と自信をもって歌ってた。この学校はうちの学区内でも、雰囲気が違う学校。確かに前任者の拠点校だったり、海外のドネーションが入ってるけど、校長が教員をまとめてる感じがすごくする。朝の朝礼は必ず時間通りだし、教員の勉強会でも一番多くの教員が参加してくれた。

日本でもそうだけど、校長の方針や学校の雰囲気、教員の力量で子ども達も変わるんだなぁって思った。

我が拠点校のミトゥンドゥ小学校。衣装も頑張って作りました。


生徒の誘導をしてくれた香島さん、見学に来てくれた地守調整員。いろんな方が関わってくれたから成功できた。


今回は生徒が運営やプログラムの中に多く登場してもらった。日本だと当たり前だけど、こっちでは学校行事のほとんどのプログラムは教師が進める。今回のちょっとした新しい試み、う~、挑戦でした。あk生徒が活躍する場を作りたかったんだぁ。この子は詩の朗読をした、教員養成大学付属小学校の生徒。


関わってくれた隊員の中でも理数科隊員には多くを担ってもらった。裏方から審査中の理科実験劇まで。前は、うちらが理数科の実験劇の裏方や随伴をして、今回は逆に手伝ってもらった。こういう異職種隊員との協働も嬉しい事だった。


メディアにも来てもらった。新聞社やテレビ局。取材をしてくれてる同期の藤澤隊員。まぁ、JICAの活動の宣伝もあったんだけどね。

この藤澤隊員とは前から、「マラウイ各地の子を集めて合唱コンを開きたいね」 「そしたら僕が取材に行きますよ」って話してた。規模は小さくなったけど、ささやかな目標達成です。


移動はバスを貸し切った。マラウイだけじゃなく、途上国の課題の一つにインフラの整備がある。やはり交通手段を確保するのは難しかった。金がかかる。JICAの補助をお願いして実現した。

さながら遠足みたいな景色でしょ?日本だと当たり前の景色だけど、こっちではすごく大変なこと。途中、色んな景色を見れたかな?



先輩隊員の村橋さんが勤めてた、教員養成大学の教授の好評。前任の皆さんが築いた人脈も生かしたかった。当日は審査員もお願いした。それと場所は教員養成大学。ってことは、教師の卵がいる場所。審査員を学生にも依頼した。何かいい経験になってくれたらいいんだけどね。


運営に生徒を巻き込む。この子は司会を務めた。うちの任地から出場しない学校から選んだ。何回かうちの学校に来て司会の練習をしたんですよ。

日本の学校でもそうだけど、やっぱり場を与えて、練習させれば「できる」んだって思った。子どもの可能性を信じなきゃね。


優勝発表の瞬間。感情を爆発させる。慣れない緊張する場で成果を発揮できた開放感や感動があったかな。久しぶりに俺も感動したよ。

こういうことも情操教育だよね。

学校へ行こう!という歌を歌ったミロンデ小学校。この子は先生にふんして登場した。ネクタイを結んであげたよ。あと眼鏡も小道具で提供(100円の)。それぞれの学校が大なり小なり工夫をしてた。創造性をはぐくむって言うのも狙いの一つだった。

優勝したムラレ小学校の生徒・教員たち。一致団結してぶれない指導の賜物だったよ。



http://www.youtube.com/watch?v=uzv9W2_hi7s

優勝したムラレ小学校の動画のURLです。


今日は活動を休んでしまった。やっぱりちょっと疲れてたらしい。あと1か月、頑張ろう!