一生忘れない2月11日。
前回ブログを書いたのが2月最初で、もうすぐ3月も終わろうとしている、今日からサマータイムにもなった。
まずは世界中で話題になってしまった私のボス(元って書くのが何だか嫌)のマルコゲッケの事件について。
の前に、その日のプルミエについてから書きたい。
夫の作品も無事初日を迎えられた。
衣装はグアドループ出身のフレンチデザイナーのMarvin Mtoumo.
舞台デザインは日本人の小林峻也さん。
照明は(元)うちの劇場の照明デザイナーさん。
タイトルは「MILK」。
「母」という存在について、私達すべての人類の出所、というところも含め、何年か前に夫ギオーム自身が初めて知った母親のこと、自分のこと、からの影響もあってこの作品になっていると私は解釈している。
(私達は夫婦だけど仕事になると全てのことは理解しようとしないのが私のスタンスで、他の振付家、アーティストと同じように扱いたいと常に思っている。)
写真:Carlos Quezada
結果、良い作品になったと思うし、彼の世界観が奇妙な感じでできた(←褒めてる)。
元々動きがエステティックな振りばかりではないのでコンサバ好きな人にはショックだろうが、とてもユニークで、難しいと思う。もちろん、ダンサーによって様々だけど、すぐに「そうそれそれ!」と言うことが起こるのは大体10%くらい、そこからが探求あるのみ。
まあ、そう言うものだよね、踊りって。
振りだけ覚えてはいはいこんな感じでしょオッケー!というダンサーもいたりはするものの、そこのレベルとそこから踊り込めて行けるかはそれぞれのアーティスト同志の器量だなと観察していてよく思う。
なんだかんだで夫は終演後たくさんのマダム達にサインを求められていたのは「母」テーマからかな。w
ギオームのお母さんもはるばるコルシカ島から来てくれた。
体が不自由なので姪っ子ちゃんと一緒に。
うちの劇場のロビー。
元パリオペラ座のエトワールで夫のpetite mere(小さなお母さんと言ってパリオペ学校に入ると子供達は先輩達にお母さん、お父さんになってと頼む習慣がある。私のいたカンヌでもあったよ。)のイザベルシラボラさんも来てくれた。同じコルシカ出身なのよね。
ピッコロみたいになってるのギオームね、同じ夫だよ、ハゲ隠してるのストレスそうだったので剃っちゃえ剃っちゃえって私がゴリ押ししました。
トルコに行って髪のインプラントと言う選択肢もありましたがそこまでしてね〜と、却下。
自分の職場に夫がゲストで来るというのは中々変な感じだった。
し、やっぱり気にしないふりしてても一言一言、一行動毎に気になるもので心は休まらなかった。
私の方がよく知っているダンサー達と、私が一番理解している夫とのコラボレーション、夫とダンサー達は何人か(全職場で一緒だったダンサーも何人かいるから)以外はそうではないが、それについて助言をすべきか迷ったり、自分で発掘しろやと思ったり、匙加減に迷うことが何度かあったけど、夫自身は元々自分のやりたい世界ははっきりしていて成し遂げるのでそこの心配一切なかったけれど、こんなに大きなプロダクションは初だし、意見を言ってくる人が沢山いて逆にそれに振り回されそうになっていたのも事実。
そんな時にマルコは夫にアドヴァイスしてくれて、「マルコの言葉だけで十分」とすぐにフォーカスしていた。
マルコは決して人に押し付けたり、自分の意見でどうにかしようとしない、そんな人のアドヴァイスはとても貴重。
名の知れていない夫にでさえ多くの人が口を挟んでくるこの世界、マルコのことを思うと目眩がする。
そりゃあ誰かの顔にうんこをつけていい訳がない。
そんなのは幼稚園児が思いつくようなことだ。
それでも、マルコはその幼稚園児のようなところも兼ね備えているのも事実。
本当に本当に、繊細な人なのだ。
誰だって繊細だと言いたいだろうけど、彼はそのレベルではない芸術家であって、だからこそ今回のことも正直私は驚かなかった。
いい意味での気狂いなのだ。きっと一緒に仕事してきたアーティスト達にはわかること。
評論家だから何を書いていいわけでもない。
20年以上にも渡り、執拗にマルコを追いかけプライベートな事を踏まえて評価をする、それは評論家という立場を使った人権侵害ではないだろうか?
そして振付家を含め、ダンサーも、書かれた側の反論の場はどこなのだろうか?
そんなの気にしなければいい、と、簡単にいう人もいるだろう。
自分が人生を賭けて作ってきた作品達をたった一人の人間の目線でズタズタに書かれたら、あなたは立ち直れるだろうか?怖くならないだろうか?
今回マルコがとった行動は数多くのバレエ団、ダンサー達に迷惑をかけたのはその通りだし、必死に彼の世界で踊るダンサー達やそれをまとめるスタッフ達、関わる全ての人に大迷惑な出来事。
それを身勝手だと罵る人達がほとんどだろう。
私たちの周りでもいろんな反応の仕方があって、人間って面白いなと発見したことが沢山ある。
リーダーなんだからそんな行動をしてはいけない。
そういう意見は普通だ。
私は彼を一人の芸術家として見てきたし、それはこれからも変わらない。そして私のバレエ団の芸術監督。
だけど彼がリーダーだと思ったことは一度もない、正直。
だって、リーダーな人じゃないもん、これはちっとも悪い意味なんかじゃなくて、彼と一緒に働いたことある人は絶対にわかる、マルコはマルコでしかなくて、どんなタイトルも当てはまらない、「コリオグラファー(振付家)」という以外には何も当てはまらない人物。
だから元々うちのバレエ団にはサブ芸術監督である人が最初っからいたし、彼が今バレエ団の芸術監督ということだが、内容としては何も変わっていない。
マルコがいなくなってあいてしまった大きな大きな喪失感以外は。
そしてこのコロナの時期を含めて2019年の夏から始まった彼のバレエ団のアーティスト達は本当に成長した。
リーダーでなくても、彼という存在が居ただけで、彼の一言一言だけで、ダンサー達の芸術性は突き動かされて変わってきた。
バレエ団の芸術監督が一人歩きするようなバレエ団よりも、そこに所属するアーティスト一人一人が強く、このグループを特別なものにしていると思うし、私はバレエミストレスとしてこれからもアーティスト達の助けに少しでもなれたらと思う。そう思って毎日過ごすことは今までもそうだったしこれからも1ミリも変わらない。
なのでよく「大丈夫?」と聞かれるが私は全く平気だ。
これから月日が経ってバレエ団が変わっていったとしても(そうなるのは当然)、もしもそれで自分が合わないと思ったら辞めればいいだけだし、次へ向かうのみである。
今いる場所に不満ばかりが募ってビターな人間になるだなんてまっぴらだ。
今いる場所に「保険」など感じないし、これは海外に出て来た2001年から同じ気持ち。
22年目の欧州生活でここが私の場所だわわっほいなどと思えた事が一度もないのも中々大変ではあるけれど、あっという間に今夏で40歳を迎える。
人生なんてあっちゅーまなのでもやもやいじいじ誰かのせいにしたり不満ばかり話している暇など勿体無い。
多くのマスコミやSNSの人達が書くマルコの人間像というのはとても卑劣で、それに対してコメントする野蛮な人間達もその品格と質を疑うが、私達はそんな世界で生きている。
誹謗中傷の酷いこと。
知らない人のことを色々いう人って普段からよくいる人種だけどね。
それによって命を経ってしまう人だっているのがわからないのだろうか。
それにしても、誰もマルコの事を書いた評論家についての事は書かないのよね。
彼女がドイツ一おっきな新聞社「フランクフルターアルゲマイネ」のボスの妻だからかな?
世の中不思議である。
私達バレエ団は今、今週末にある新しいプルミエの準備中。
コロナがちらほら出たり、前回のプルミエからのイスラエルツアーとノンストップな中で怪我も増え、私は毎朝気分よく起きてもその数分後に胃が締め付けられているが、なんとしてでも私達バレエ団の底力を見せたい。
写真:Carlos Quezada
あの事件があってからの舞台は毎回完売。
イスラエルのテラビブオペラでのツアー公演も3日間とも2000席が完売だった。
最初は野次を飛ばされたり逆にお客が帰ってしまうこともあるのでと心構えしておくようにと劇場のインテンダントに言われたけれどもそんな事はなく、大歓声に包まれた。
サポートしてくれる人達が沢山いて、本当に感謝している。
このマルコの作品「Hello Earth」はポップコーンがハート型に設置されるのだけど、これがまたいい香りで幕が開いた瞬間にお腹が鳴る。