うつ病の典型的な症状に「消えてなくなりたい」という症状がある。「死にたい」と思うのと同じだ。
しかし、うつ病で気力体力がなくなっている時には自○する行動力もないのが大半であり、なかなか自○行動に踏み切らないのが不幸中の幸いともいえる。
ある日私は妻がまだ寝ている最中に着替えて散歩に出かけた。うつ病の治療には散歩がいいというのは周知の事実と思うが、そんな前向きの散歩ではない。
死にたいほど辛く少し動けたので、ついに実行に移そうと考えての散歩、というよりは死を求めて外に出かけたのだ。
自○するにしても家族に迷惑をかけたくない。電車に飛び込むなんてのはもってのほかだ。高いところから飛び降りると言っても、この田舎では無断で入れる高いところなんてのはそうそうない。
思いついたのは「トラックに飛び込む」ことだったのだ!トラック会社から賠償請求はあるかもしれないが電車ほどではないだろう、となぜか死に方について冷静に考えていた。歩いていける国道まで行けばトラックはたくさん走っている。飛びこめば痛いと感じるまもなく即死できるだろうと考えた末の行動だった。
これを書いている時点で結果飛び込まなかったのはおわかりかと思うが、なぜ飛び込まなかった、いや飛び込めなかったのか。
国道に着くと
「あれ、意外とトラックいないな。いても国道のわりにスピード遅いなぁ。これじゃ飛び込んでも全身打撲にはなっても即死できないんじゃないか」
などと考えつつ、どのトラック、車に飛び込むか機会を狙っていた。そこへ、そこそこのスピードを出したダンプカーがやってきた!
「よし、あのダンプカーだ!」
と意を決してダンプカーをにらみ続ける。近づいてくる、もうすぐだ。よし!
飛び込めなかった。ダンプカーの運ちゃんと目が合ったのもあるが、なにせダンプカーの迫力に押され
「痛そうだな。。。」
と感じてしまい、飛び込む勇気がなかったのだ。そんな勇気はなくてよかった。死ぬのが怖いのではなく痛いのが怖いのだ。
結局、ただまっすぐ家に帰り、いつも通りベッドに寝込んだ。
またある別の日、朝目覚めて直後最悪な気分だった。脳内を死にたい気持ちが反芻して膨れ上がる。とにかく死ねる方法をとっさに考えて、バスタオルを2枚つなぎ合わせて輪っかを作り、ドアノブに引っかけて首つりを試みた。当然ながら死ねるわけがない。
ドアノブでは全体重がかからない上、そもそもロープではなくバスタオルではクビを局部的に圧迫しない。それでも苦しくて涙やよだれが出た。
妻が気がつきドアをこじ開け自○は失敗。
よく独房の中でシーツを窓枠に引っかけて首つり自○するというようなドラマのシーンがあるのでそれを真似たのだと思うが、そう簡単に窒息するものではない。しかも本気で死ぬ気でいたら、妻や母が外出して一人の時に実行すべきだ。
死にたい気持ちで実行に移したものの結局死ねない。いやその時は「死にたい」という気持ちで脳内が満たされていただけで本気で死ぬ気はなかったのではないか。家族に死にたい気持ちをアピールしたかっただけなのではないか。
自分でもとっさの行動であり、なぜあの時、トラックに飛び込もうとしたのか、首をつろうとしたのか、今ではあの時の心理状態はよくわからない。
回復してきた今、あのとき本気の自○行動に出なくて本当によかったと思っている。
現在は、自○どころか、うつ病の回復のため朝散歩を毎日行い、脳に必要な栄養素をとるため、バナナ、ナッツ、プロテイン、野菜、ビタミンサプリを採ったり、鼻茸の治療のため入院、手術まで行い、高血圧・高コレステロールを解消するため定期的な血液検査と服薬したりと、健康維持のために必死になっているのが、あまりに逆行動で笑えるほどだ。
どんなに辛くても自○だけはしてはいけない。健康上の理由、金銭的な理由、いじめを苦に、などで自殺をする人が絶えない現状と聞くが、生きてさえいればなんとかなる。
私の場合など、なんとかなるどころか、今はかなりハッピーな気分だ。死にたいと思っていた最悪期を脱した今は「100歳まで健康を維持して生きて、美味しいものを食べ、バイクや車を楽しみ、妻と海外旅行に行き、もう一度ダイビングをしたい、自宅をリフォームし。。。」など夢はたくさんある次第だ。
生きてさえいればなんとかなる。
(末期のがん患者さんはわからないが)必ず回復し、やりたいことが次々とわいてくる。
必死で自○を止めてくれた妻には本当に感謝している。ありがとう!
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またまた積ん読が増えてしまいました笑
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働く意欲もわいてきました!(おいおい、自○未遂したくせに今度は働きたいとは変わり身早いな、オレ笑)
久しぶりの誉田哲也さんのシリーズもの。読むのが楽しみ♪
ではまた!