松山千春は、恩師・竹田健二さんの命日(8月27日)を前にして、8月25日の放送で多くの時間を使って竹田さんを偲び語っていた。

 

松山千春がはじめて単独でコンサートを開催したのは1977年8月8日、当時の北海道厚生年金会館だった。今年のその日を前にした8月4日放送の「松山千春 ON THE RADIO」でも竹田さんとの思い出を語っていた。内容は以下のとおり。


 

【8月4日放送】


(33:35~)
忘れることのできない8月27日でありますけど。デビューしたのが1月25日、ファーストコンサートが8月8日。そして竹田さんと永遠の別れになった函館市民会館(でのコンサートだった)8月27日。竹田(健二)さんの命日になるわけでありますけど。

前の日、(竹田さんは)26日にはニッポン放送の方とお会いしていて、「オールナイトニッポン、二部だけど(松山千春君を)使わせてもらえないだろうか?」竹田さんは「それは構いませんけど、うちの松山は北海道を離れてそういう活動をしたくない、ということなんで、これ毎週通いになりますけど、それでも構いませんか?」「それでも構いません。ぜひ宜しくお願いします」(…)


(36:18~)
竹田さん、亡くなってしまったけど、要は俺に、恋愛の歌もそうだけど、北海道、歌ってもらいたいと思ってくれてたはずです。

(42:11~)
しかし、今になっても竹田さんがなぜ俺にそれだけ目をかけてくれたのかが、正直言って分かんないんです。俺も聞いたことないですから。「竹田さん、俺のどこがよかったんですか?」とかな。まして、札幌(で行われた)北海道大会で落ちてる身ですからね。(…)

(44:14~)
ここまで自分らしくやることができたな、とつくづく思いますし、あらためて竹田さんにね、感謝しますしね。まぁ、ほんとに1975年の3月、竹田さんにお会いして…というかこっちは歌う方と、審査員っていうかたちでお会いしてから、ほんとにわずかな間だったですけど。もちろん、思い出はいっぱいあります。(…)

そんな中、8月27日に竹田さんが亡くなって。竹田さんの家に行ってぼろ泣きしてた俺に竹田さんの奥さんが「千春さん、函館のコンサートへ行ってきてください。それを主人が望んでますから。どうか函館、行ってください」…それが余計、悲しくなって。

(竹田さんに対して)ほんとに何のお返しにもならないですけど、みんなに一曲でも”ああ、いい歌ですね”って言われることを目指して、これからも曲を作っていったり、コンサート、楽しみにしていますんで。


そうしないと、亡くなった竹田さんに申し訳ないですから。あくまでもこの北海道を離れずに、これからもフォークシンガーとしての活躍をしていきたいなと思ってます。みんなにもいろいろ迷惑かけますけど、どうか宜しくお願いします。

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「旅立ち」(1987年ver.)