1977年8月8日
今からもう47年も前のこと。1977年1月25日にデビューした松山千春が初めて単独で有料コンサートを北海道厚生年金会館で開催した日。松山千春はこの日を「もうひとつの誕生日」だとよく言う。
2024年8月8日 は48回目のそのファーストコンサート開催記念日。
音楽評論家の富澤一誠氏の著作「松山千春ーさすらいの青春」の中に、47年前のあの当時の状況を関係者の証言を交えて詳しく掲載されている。それらをまとめて2022年に私が書いたのが以下のリブログ記事。
デビューして約半年後、すでに北海道での松山千春の人気が沸騰していた様子が伝わってくる。
2024年8月4日放送の「松山千春 ON THE RADIO」でも、
「8月となると、俺はどうしても8月8日、自分が1977年、昭和52年、8月8日に、今は無くなっていますけど、北海道厚生年金会館で初めてコンサートをさせてもらったことを思い出しますね」
「(見出し育ててくれた竹田さんに)ほんとに何のお返しにもならないですけど、みんなに一曲でも”ああ、いい歌ですね”って言われることを目指して、これからも曲を作っていったり、コンサート、楽しみにしていますんで。そうしないと、亡くなった竹田さんに申し訳ないですから。あくまでもこの北海道を離れずに、これからもフォークシンガーとしての活躍をしていきたいなと思ってます。みんなにもいろいろ迷惑かけますけど、どうか宜しくお願いします」
松山千春の存在のすべての根底に恩師・竹田健二さんがいらっしゃり、折あるたびに恩師について誠実に語り感謝を捧げる松山千春の心に触れて、こちらも温かな気持ちになる。
(恩師・竹田健二さん:上と松山千春)
「旅立ち」(2006年Ver.)
松山千春、2026年にはデビュー50周年を迎える。
必須事項として、50周年のオリジナルアルバムを出して欲しい。2年後を想定して計画的に新曲を作りながら。
とは言え、例えば2026年のデビュー記念日の1月25日に合わせて何かしようと思えば、来年2025年から、もっと言えば今から検討と準備を始める必要があると思っている。
時間がないとできる企画もできなくなる。時間的に余裕がなくなると、既出楽曲の中から、また同じような曲ばかりをたくさん集め、リマスター費用を含んで高額化した、コアなファンさえも買わないような50周年記念メモリアルアルバムをリリース、という事態だけはもう避けて欲しい。
さらに、デビュー記念日の1月25日や、ファーストコンサートを開催した8月8日、恩師・竹田健二さんが亡くなられた8月27日などにその意義をとどめるイベント・ライブをぜひ開催して欲しい。
通常のツアーであってもセットリストや演出などに工夫を凝らして、50周年ならではの記念ツアーを望む。
「松山千春50年展」があってもいいんだと思うし、データさえ残っていればだけど、未公開のライブ映像や未発表曲だけを集めたCDアルバムが出たら嬉しい。
これらのことを含めて、日本コロムビアからも人を入れて、松山千春と関係者で「松山千春の2026年」を考える実行委員会を今から立ち上げて、いろんな知恵を集め、検討し始めて欲しいと強く願う。
検討が進めば、出揃った企画のキャンペーン方法も当然話題になるだろう。そこにはトータル性や計画性が伴うはずである。
松山千春の50周年を克明に記録し、ここまでひたすら応援し続けいてるファンのみなさんがワクワクするような、喜んでもらえるような企画を待っている。
松山千春「TOUR」