2024年7月28日
「松山千春  ON THE RADIO」

 

コンサートや新曲等に関する明確な言及はなかった。

 

今回の大雨の被害が大きい東北を思いやり、東北各県出身の歌い手の歌をかけた。中盤では因幡晃の「わかってください」と沢田知加子の「会いたい」を。その間に、松山千春がデビュー当時のキャニオンレコード社内の様子を語っていた(以下ボールド)。

 

(25:15~)
秋田県は大館出身、因幡晃「分かってください」

 


(30:56~)
因幡晃。まぁそのぉ、俺とはちょっと前後するんだけど。ヤマハのポピュラーソングコンテスト、ま、いわゆるポプコン出身だわなぁ。(因幡晃が)76年デビューだから。俺が77年デビューですからね。彼の方が一年早い。

そしてまた因幡晃が出た75年のポプコン…。因幡晃はこれ優秀賞とか、そういうのもらったんだろう。で、グランプリは中島みゆきということでな。



(デビュー当時の松山千春)


俺はさ、最初、今はコロムビアレコードだけどさ。キャニオンレコードからデビューする時にな、

「ん?お前、ヤマハじゃないのか?」
「いや、俺はフォーク音楽祭っていうところ出身なんで」
「そうか。しょうがねぇな。なんだ?そのニッカボッカは?」
「私、あのういちおうこれがはきやすいズボンだと思ってはいてるんですけど」
「お前は歌手じゃねぇな」

 

…なぁ、“歌手じゃねぇな”って言われても。あの時の石田社長か?(石田達郎:キャニオンレコード初代社長)ああ、懐かしく思えたりするんだけどなぁ。だから俺はキャニオンレコードの中でも、ヤマハのポプコンとは違うレーベルで歌わせてもらってなぁ。

逆に“ポプコンに負けるんじゃないぞ”みたいな感じで、そういう変なプレッシャーってのがレコード会社の中にあったわけだよ。今思い出せば面白かったけど、その頃はまだいろんな支社があったから。キャニオンレコードもポニーキャニオンとして札幌に支社があったんだよ。そこの宣伝やってたのが坂本(坂本彰)。後にうちの会社の社長もやるんですけど。(…)

岩手は八幡平出身、沢田知加子「会いたい」

 

_

 

高校時代、90分カセットテープにそれまでに出ていたフォークソングばかりを集めて録音していた。今で言えばフォークソングプレイリストってところかな。あれが1983、84年頃なので、あの当時でもそんなフォークソングを聴いている友だちは一人もいなかったので、すでにあの頃から骨董品的な、時代遅れの、というよりもひとりだけ時代が進んでいない存在だった。

 

その中に因幡晃の「わかってください」も入れていて、他の曲とちょっと違った雰囲気のこの曲がなんか気に入っていた。

 

沢田知加子の「会いたい」は1990年に発表されている。最初に聴いてとにかく感動したのを覚えている。1990年は私が社会に出た年。当時は仲間とよくカラオケに行っていたが、行くと必ず「会いたい」を歌っていた。松山千春流の節まわし、松山千春になりきったあの歌い方で。