にじ散歩(過去の一歩)👟👟

 

懲りずにまた新しいシリーズを立ち上げたわけではありません。2022年5月に起こした東京中野区に『「神田川」歌碑』を見に行った時の記事に、今も時折アクセスをいただきます。改めて読んで、聴いてみて、楽曲「神田川」の世界と現実の神田川、なかなかいいものだなと思いましたので、寄り道気分で書いてみました。

 

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<2022.05.12>起稿

 

 

南こうせつとかぐや姫の歴史を越えて響き続ける名曲「神田川」(1973年)。

 

その歌碑が中野区に設置されたのが1996年(平成8年)のこと。中野区内を流れる神田川沿いの遊歩道「神田川四季の道」にある(東京都中野区中央1-13-9)。

 

「神田川」がリリースされた年、私は5歳。当然ながらリアルタイムでは聴いていない。中学1年になって、松山千春の影響を受け、独学でアコースティックギターを覚え始めた頃、アルペジオ(ギター奏法のひとつ)の練習曲として載っていたので、”いい歌だな”と思いながらよく弾き語りした。今でもする。初心者が押さえにくい代表的なコードのひとつであるBmがさびで使われているので、何度も練習した。そういった意味で、思い出深い曲、忘れられない曲のひとつ。

 

(松山千春/ギターは南こうせつさんと同じ

オベーションスーパーアダマス)

 

そんな理由から、5月4日、知人に会いに中野区に行ったので、帰りがけに初めて立ち寄った。やっと行けた。妻からは「なぜ、『神田川』歌碑??ファンだっけ?」と何度も言われたが、そのたびに上に書いた理由を単語の順番もほぼ違えることなく2回、説明した。

ナビを使っても住所だけではすんなりたどり着かないし、見つけられない。最後は歩いて捜した。上記住所あたりに架かっている末広橋のすぐ近くの小さな公園内にあった。歌碑には「神田川」の二番の歌詞だけが刻まれている。※以下の写真、動画は筆者撮影

 

 

 

 

神田川の源流は東京都三鷹市の井の頭公園内にある池。そこから東に向かって流れ、台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する。

 

個人的によく目にする神田川と言えば、ギターを見に御茶ノ水に行った際、さだまさしの歌「檸檬」の主人公が食べかけの檸檬を放った「聖橋」や、駅を挟んでそのひとつ西側にある「お茶の水橋」などから見る神田川。

 

 

(聖橋から見た神田川/2022年5月12日筆者撮影)

(お茶の水橋からの神田川/筆者撮影/2022年5月12日)

 

この辺りの神田川に比べると、4日に行った中野区内の神田川は川幅はかなり狭いが、水が綺麗だった。末広橋上から泳いでいる鯉も見えた。

 

(映像の右手に歌碑がある)
 
 
南こうせつさん、かぐや姫の熱烈なファンのみなさんには”釈迦に説法”、”今さら”の話しだが、私自身の知識を整理する意味で。
 
書くまでもないが、「神田川」の作詞は喜多條忠(きたじょう まこと)さん。南こうせつさんは作曲だけ。ちなみに、この曲の雰囲気を決定付けたあのバイオリンの演奏は武川雅寛さん。
 
なぜ「神田川」の歌碑が中野区にあるのか?
 
結論としては、喜多條さんが作詞した当時住んでいたのは東中野の小滝橋付近。そこで、当初その周辺への設置が検討されたが、適当な場所が見つからなかったため、「神田川四季の道」のそばに設置されることになったと言う。
 
歌詞にある「三畳一間の小さな下宿」は、喜多條さんが作詞する5年前に同棲していた髪の長い早稲田大学生の彼女のアパートのことであり、高田馬場駅から徒歩10分、早稲田通りと明治通りが交差する近くで、アパートの窓からは神田川と大正製薬の煙突が見えたと言う。「豊島区高田3丁目」にあったという説もあるらしい。
 
同じく「横町の風呂屋」は西早稲田にあった「安兵衛湯」とされている。この銭湯は西早稲田3丁目の早稲田通りから1本奥に入った茶屋町通り沿いにあり、現在のスーパーマーケット「三徳 西早稲田店」(新宿区西早稲田3)の裏辺りとのこと。
 
確かに私のイメージも、「神田川」と聞くと、高田馬場あたりをイメージする。
 
私が大学入学と同時に東京に出て下宿した1986年当時は、「三畳一間」はさすがになかったように思うが、大学の先輩たちは四畳半一間、バスなし、トイレは共同というボロアパートに結構住んでいた。6畳一間、バス、トイレも部屋の中にある、という私の部屋を見て、先輩達は「あいつは山梨の金持ちの息子だ」とまったく根拠のないバッシングを浴びせてきた(笑)。
 
当時流れていた歌は、渡辺美里「My Revolution」、レベッカ「フレンズ」、小林明子「恋におちて」、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」、チャゲアス「モーニングムーン」、TUBE「シーズン・イン・ザ・サン」などなど。「神田川」から13年後、「神田川」の世界とはほど遠く、当時なりの時代の風を纏っている。
 
「神田川」の歌詞内容になんとなく近い歌と言えば、1983年にリリースされた松山千春の「電話」ぐらいかな。東京のアパートでもよく聴いた。
 
ともあれ、数年来の”課題”だった「神田川」の歌碑を見ることができてよかった。
 

南こうせつとかぐや姫―「神田川」(1973年)

 

「ただ貴方のやさしさが 怖かった」わけでもなく、何も怖くなかった若かった頃を思い出し、あれから36年経ち、少しは自分を見つめられたか?少しは自分を磨いてきたか?あの時掲げた旗はまだはためいているか?…まだまだこれから。
 
僕は諦めない 誰か聞いているか 
あの時掲げた 僕らの旗だけが
一人揺れている 時の風の中で
(小田和正「the flag」)