この日は久しぶりに隣にギターを置いてラジオを聴いた。流れてくるであろう松山千春の曲に合わせて弾こうと思って。

 

 

2024年3月24日放送の「松山千春 ON THE RADIO」

 

「恋愛ものは恋愛もので、そりゃぁ俺は得意ですよ。これから聴いていただくのが、俺が24歳の時、これは間違いない。俺が言うんだから。24歳の時、発売した恋愛の曲、松山千春『炎』」

 

と言って「炎」をかけた。

 

Capo1、譜面を見なくてもコードは自然と出てくる。流れてくる曲に合わせて久しぶりに「炎」を弾いた。

 

弾きながら「炎」にまつわるいろんな思い出が一気に蘇ってきた。

 

 

「炎」が収録されているアルバム『木枯しに抱かれて』は1980年11月21日にリリースされている。松山千春はまだ24歳、翌月に25歳。私は12歳、中学1年の時。

 

 

 

松山千春をはじめ当時LPは自分の小遣いで買っていたが、このアルバムだけは父が買ってくれた。

 

なぜ買ってくれたのかは覚えていないけど、発売日前日、何かの帰り道に寄ったのだと思うが、父と一緒にレコード店に入った。突然父が「これで買え」と3,000円をくれた。

 

収録曲の「木枯しに抱かれて」「私の明日には」「炎」「夕焼け」「悲しい時には」…上のラジオでの発言のとおり、当時中学生だった私も「24歳前後の松山千春がどうしてこういう歌詞を作れるのかな」と真剣に考えたのを覚えている。

 

で、また当時中学1年、12歳の私がどうしてこういう歌に感動するんだろう?と自問したのも覚えている。これらの歌詞に歌われていることや感慨は当時経験したことがなかったはず。

 

ギターを覚えてからは「北風の中」「涙の向こうに」「木枯しに抱かれて」「炎」「夕焼け」は何百回弾き語りしたことか。

 

その年(1980年)の12月にNHK‐FMで松山千春の「風をうけて」ツアーの模様が放送され、そこでは弾き語りで「炎」が歌われた。

 

以下がその時の公式音源。この「炎」は2Capo、オリジナルより一つ音を上げている。

 

このライブ、オープニングの「青春」とともに背筋がぞくぞくするほど感動しすぎて、風邪をひいた記憶がある…。この弾き方を何度真似したことか。

 

 

 

 

時は流れ、1988年11月2日、『夜のヒットスタジオDELUXE』に松山千春が出演し、フルバンドで「炎」を歌った。私は大学3年、たまたま私のアパートに来ていた友人と一緒に観た。

 

熱唱、激唄、絶唱…ものすごい松山千春のパフォーマンスだった。千春ファンのみなさんもこの時の「炎」は深く記憶に刻まれている方もいらっしゃると思う。

 

私はもう終始無言、感動で体が固まっていた。見終わって彼が「松山千春の歌の上手さ、すげェな!!」と言った一言を今でもはっきり覚えている。

 

(「炎」を歌う松山千春/

夜のヒットスタジオDELUXE)

 

2016年8月8日、デビュー40周年記念の弾き語りライブが日本武道館で開催された。開催の数日前、ラジオで「『炎』は必ず歌います」と発言し、「炎」をだけ聴くだけで行く甲斐があるぞ、そう思って臨んだ。

 

当時私の仕事は前のセクションにいて、異常なほど多忙な毎日に心身ともに疲れ果てていた。今思うと、明らかに心身ともに限界を超えバランスを崩していた。

 

8月8日は月曜日。朝からそわそわしながら、夕方職場を飛び出した。

 

「炎」も久々に聴けてよかったが、それ以上に「冷たい雨」「黄昏」「父さん」「旅立ち」に感動して、命も心もすべて捧げて固まった。

 

(「炎」を歌う松山千春/日本武道館)

 

ちなみにこの日の武道館。私の席の数列前にこんちはるさんがいて、あのまんまのお派手ないで立ちだった。言葉を交わすことはなかったが、あれ以来こんちはるさんを身近に感じている。

 

ともあれ40周年。よくここまで歌って来たなぁと敬意を表しつつ、私自身もよく応援してきたなと、「旅立ち」前のトークを聴きながら思った。

 

「炎」(一部)00分46秒~01分13秒

 

 

 

松山千春コンサート・ツアー2018「弾き語り」

 

タイトルどおりギター一本、弾き語りで全公演通した。「長い夜」などカラオケを流した曲もあったが、その時もスタンディングでギターを弾いていて、松山千春が弾くギターの音を私も拾っていた。

 

その意味で、私の認識では2016年の日本武道館ライブ同様100%弾き語り。「指が痛い痛い」と毎週のようにラジオで嘆いていたが、最後までギター一本で通したことは本当にすごいと思った。

 

ギター一本で通すのはなかなか大変なこと。長渕剛だって”ギター一本でツアー”と謳っても、必ず数曲はギターを弾かずにカラオケだけで歌う。

 

東京公演のみで歌われた「燃える涙」は今も響いている。

 

 

このツアーでも「炎」を歌った。当然声質も歌い方も違うが、1980年「風をうけて」ツアーの弾き語りでの「炎」に近いものを感じた。

 

2018年5月10日、東京国際フォーラムに参加した。この時の私自身の身辺は上に書いたハードなセクションから、3週間後の6月1日付で異動が決まっていて、ほっとした気持ちで参加した。

 

 

 

松山千春の歌は私の日々につれ、私の日々は松山千春の歌につれ…

 

「炎」ベースで振り返っても、あっという間に44年の歳月が流れた。松山千春現在68歳、今も歌い続け、私現在56歳、今も応援し続けている。

 

勝手な自覚で言えば今も松山千春に「並走」し続けている。

 

 

松山千春に言わせればまだ「人生(たび)は続いている」

 

その「人生(たび)」も、これからはここまで歩いた以上に長くは続かない。近い将来、必ず終わりを迎えるのでしょう。

 

松山千春と私はひと回り年齢が違うが、ここまで来ると、それこそ”どっちが先か?”という領域に入っている。

 

幾多の日々が炎のように揺れている。この先どうなるものか?心配とともに人生(たび)はなし。迷わず行けよ、行けば分かるさ。まだまだ並走し続けるさ。

 

それにしても、ツアー開始前にはあと1回、3月31日にラジオ放送はあるが、この段階で「炎」をかけたということは、今回のツアーのセットリストに入っているのかな?入っているとすればフルバンドでしょう。入っていて欲しい。

 

ツアースタート、心待ちにしている。