秀逸なコラム二本

 

 

「春秋」 2024年3月10日 日本経済新聞
 古文は苦手科目だったが「枕草子」の一節だけは、この季節が巡ってくるたび思い出す。「すさまじきもの(興ざめなもの)」の一つ「除目に司得ぬ人の家」だ。今風に言えば人事で期待したポストにつけなかった人の家。清少納言の目と筆は本当に残酷なまでに鋭い。

▼親戚や知人が集まり、明け方まで吉報を待っていたが、一向に知らせが届かない。変だなと思う頃には実はもう内示は終わっていた――。このくだりなど、現代の「宮仕え」する身にもグサリと刺さる。季節の異動・昇格者で埋め尽くされた日経新聞朝刊「企業・人事」面を、拡大鏡片手に凝視している方々もいるだろう。

▼無機質に連なる役職と人名の活字の背後に、どれだけの笑いと涙がつまっているか想像してみる。あの人がなぜ、どうして私が。悲喜こもごものドラマに誰もが心おだやかでいられないのは、どこかで合理性に疑問を感じるからに違いない。最近、耳にする「科学的な人事評価」はその解決策として注目されているそうだ。

▼目標も成果も数値化してデータで管理、適材適所をかなえるという。だが「納得」をも与えてくれるだろうか。「枕草子」と並ぶ古典の名随筆「方丈記」を書いた鴨長明は出世競争に敗れ出家した。「夫(それ)、三界(さんがい)は只(ただ)心ひとつなり(世界は心の持ちようで変わる)」。晩年の心境を記したこの言葉もまた、胸に響く春である。

 

 

「科学的な人事評価」を指向する時代の流れは歓迎しつつ、人事は人が為す事。「あいつは登用したくない」「あいつを優先して登用しよう」…そういう感情もまたつきもので科学的に収まりきらないし、自分ではどうしようもない領域がある。

 

人事に一喜一憂はワンセット。でも自分がコントロールできないものには思い悩まない。放っておくに限る。上のコラムのとおり「三界は只心ひとつなり」で、今いるそこで、行った先で、自分で自分の人生を楽しむことに尽きる。

 

 

 

 

「春秋」 2024年3月13日 日本経済新聞
 万葉集には、古代日本で故郷を離れ国土防衛のため動員される人々の詠んだ「防人(さきもり)歌」が多数収録されている。一例が「韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして」。母親が不在のまま、子どもだけを家に残して遠くへ旅立つ父親の悲哀が描かれている。

▼今月発売された「週刊朝日101年史」(朝日新聞出版)は、昨年休刊した同誌の一部記事を抜粋し解説つきでまとめた本だ。それによると、同誌に「昭和防人の歌」という連載があったそうだ。真珠湾攻撃から間もない1942年1月4日号に始まり45年8月12―19日合併号、つまり終戦の時まで、計173回にわたる。

▼作品は一般から募集した。「帰ることなき家とさだめて見返るに藁(わら)屋根に繁(しげ)る蓬(よもぎ)ひとむら」「母一人子一人の中を召され来しその兵すらも死なせたりけり」「たまゆらの心みだれを恥ぢらひつ夫が戦死の公報受けぬ」……。どうしようもないまま、大きな渦の中で家族や故郷と引き裂かれていく普通の人々が、そこにいる。

▼誌面には勇ましい記事があふれていた。軍の検閲もあった。この欄は「ささやかなレジスタンス」だったようだ。日本にとっては歴史の中の話だが、世界には今も市井の人たちが戦場に駆り出されたり、勇ましい報道がメディアを埋めたりする国々がある。危険を承知で異論を唱える声はないか。きちんと耳をすませたい。

 

 

いつの世も犠牲になるのは庶民。母の笑顔があふれ、子らの笑顔がはじける世界は平和で安らかだろう。花開く春。世界の各地でお母さんたち、子どもたちの笑顔が花のように開ける時が一刻も早く訪れますように。

 

さだまさし「防人の詩」