三浦知良さんが日本経済新聞で連載し、三浦知良さんのオフィシャルサイトともリンクしているコラム「サッカー人として」。2月16日日本経済新聞には『「勝てるでしょ」と「勝つのだ」の違い』と題して掲載されていた(下の青字タイトル以降に全文記載)。

 

 2月3日、“史上最強”と言われたサッカー日本代表は、AFCアジアカップカタール2023の準々決勝でイラン代表に1-2で敗れた。優勝候補筆頭だった日本代表が、ベスト8でまさかの敗退。三浦さんはこの敗北を取り上げている。

 

 「何かをきっかけに11人が「やれる」と自信を持った途端に、とてつもない力の奔流が生まれる」「11人が迷いなく結束したときに生み出される力のすごさ」「退路はなかった。その違いから生じる微妙な力学」「ランキングや序列の差など意味をなさなくなる力」…以上、下のコラム本文から。

 

 三浦さんがここで言っているのは、予測やこれまでの実力、数値などには決して現れない「意志の力」の存在だろう。これはサッカーに限ったことではなく、我々一人ひとりにも、我々が所属する身近な集団にも言えること。

 

 ロシアの文豪トルストイはその世界的名著である「戦争と平和」の中で強調した大きな結論のひとつは「戦いは勝つと決めた方が勝つ」(主旨)。同じ戦力と戦法で戦っても、どちらかが勝ち、負ける。その違いは「勝利への執念」があるかないか。その執念、つまり意志の力こそが、一人の人間の未知の可能性を開き、集団として足し算以上の力を生み出す鍵であると。それが発揮された時、相場や事前の予測などまったく意味をなさなくする結果がそこにある。

 

 

 三浦知良「サッカー人として」
「勝てるでしょ」と「勝つのだ」の違い

2024年2月16日 日本経済新聞/三浦知良オフィシャルサイト

 

  「史上最強」と目されるときほど、最上の結果からは遠のくことがある。勝って当然とされることのプレッシャーが生じるし、相手の闘争心も上がってやっかいさも増す。科学的根拠はないけれど、最強の状況ほど嫌な予感もするものなんだ。

 2006年ワールドカップ(W杯)のブラジル代表はロナウジーニョら世界最優秀選手賞受賞者が一堂に会していた。この20年でみても、当時を超える「個」の集まりはそうそうない。その最強軍団が準々決勝で勝てなかった。そのことが「セレソン」の分岐点になったかのように、何かと尾を引いている。2014年W杯の日本代表も「最強」の看板を背負った。本田圭佑に香川真司、内田篤人。ただし1次リーグを突破できなかった。

 再び「最強」とうたわれた今回の日本代表において、個の実力に疑うべきものはない。アジア・カップから感じたのは、日本が強い・そうでないということよりも、何かをきっかけに11人が「やれる」と自信を持った途端に、とてつもない力の奔流が生まれるサッカーの怖さだ。

 2022年のW杯準々決勝。延長戦前半にブラジルがリードした。決着は目前のそこから、クロアチアが火事場のばか力を繰り出す。連動性の強いこの競技において、11人が迷いなく結束したときに生み出される力のすごさ。名だたるブラジルの選手が平静でいられなくなり、ばたつき、まさかで追いつかれた。

 パリ五輪の出場権をかけた2月11日の決戦で、ブラジルは引き分けでも道は開けたけれど、勝つしかないアルゼンチンに退路はなかった。その違いから生じる微妙な力学は、ブラジル敗戦、パリ五輪行き消滅という結末にも作用したと思う。

 自分を疑ってもいないし、相手を見下しもしていないけど、「何が何でも勝つ」ではなく「勝てるでしょう」と構えてしまう。無意識に潜むワナなら、僕も身に覚えがある。W杯でドイツやスペインに勝ったから、アジアでは楽勝できるなどという三段論法は成立しない。200億円規模のクラブが20億円の小クラブに引きずり倒されることは、欧州では驚きにすらならない。ランキングや序列の差など意味をなさなくなる力、それがサッカーの醍醐味だし、歴史でもある。

 学びを次に生かしてほしい。僕としては食事会でも催して、現代表メンバーがドーハで何を感じたのか聞いてみたい。念押ししておきますが、森保一監督のスパイではありませんので。

 「帰りたい、じゃない。お前は『帰れない』んだ。覚悟を決めたのなら帰ってくるな」。15歳でブラジルに飛び込む自分に贈られた言葉を、いま一度自分に投げかけ、性根を据え直しています。


 (元日本代表、オリベイレンセ)