みなさま、お元気でいらっしゃいますでしょうか?虹野、かなたでございます。
今日も「あなたがいれば あゝあなたがいれば 陽はまた昇る この東京砂漠」(東京砂漠/前川清)のかたすみから、お届けしています。
2月10日(土)、11日(日)、12日(月・祝)と3連休の方々もいらっしゃると思いますが、私は3連勤、3日間仕事です。まぁ、よくあることです。
かつやのカツカレーも。かつやもどれを食べても美味。看板メニューの「カツ丼」は全国店舗合わせるとおよそ1日7万食も売れるそうです。分かる気がします。
浜田省吾-「夢のつづき」
それはそうと、有り難くも”BIG WAVE AGAIN”とでも言いますか、1月のような一桁違いほどではないにしても、ここ2、3日、私のブログにまたそれなりのBIG WAVEがやって来まして。
BIG WAVEって言っても、要するにみなさまからの当ブログへのアクセスです。松山千春関連記事数本に多くのアクセスをいただいています。
ランキング(順位)は相対的で結果的なもの。拙いながらも日々発信している側からしますと、やっぱりアクセスしていただけるのが何より嬉しくて。それがどういう経路であってもですね。
本当にありがとうございます🙇♂️
悲しみは砂に埋めて
急げ BIG WAVE やってきた
(渡辺美里「BIG WAVE やってきた」)
言うまでもなく、これは1982年に開催された史上初の日本武道館10日間コンサート。合計約10万人のキャパシティに対して、50万通以上の申込みが殺到し、伝説となったコンサートの最終日、6月30日の映像です。
下の公式音源はそのライブから「言葉にできない」。小田和正が感激で泣き始めてうまく歌えなくなった、有名なシーンの音源です。
同じく1982年と言えば、松山千春が札幌・真駒内でこれまた伝説となった「5万人ライブ」を開催した年です。
当時中学3年だった私の教室では、オフコースのファンも松山千春のファンも複数いました。その友達と「東京に10日間で10万人のオフコースと、北海道に一日で5万人の松山千春とでは、どっちがすごいか」論争を繰り広げたものです。
オフコースファンは女子が多かったので、松山千春に一票投じた私は多勢に無勢、女子たちのまくし立てる口数の多さは強烈でした。
松山千春はこの5万人ライブの中で「俺は6年間の勝負に勝った」と勝利宣言しましたが、私は40人教室の中で「俺は女子たちの口撃に負けた」と敗北宣言しました。
下の公式音源はその「5万人ライブ」から「旅立ち」
「我々の敵が最も恐れるのは、我々が打ちのめされても決して屈せず、何度でも立ち上がってくることなのだ」(ミュージカル「ラ・マンチャの男」)
敵とは具体的な人の場合もありますし、環境からのアタックという場合もあります。さらには「運命」としか言いようもないものからの挑戦の時もあるでしょう。そうしたものに見舞われても、決して屈しない。負けない。何度だって立ち上がる。
大切な人生。立ち上がりたいものです。歩き続けたいものです。生き抜きたいものです。
それではみなさま、三連休の中日、私の拙い過去40年に遡った本稿に最後までお付き合いくださり、誠にありがとうございました。三連休の方も、そうでない方も、日々健やかにお過ごしください。
能登のみなさまに一刻も早く安穏な日々が戻りますように。世界各地で戦禍と自然災害に苦しむみなさまがどうかご無事でありますよう、お祈りしています。
今日最後の曲、これ~、この前も載せたのですが、竹内まりや「人生の扉」
ありがとうございました。