コラム春秋(以下)は”ひとり時間”を好む昨今の風潮を否定せず、むしろ受け入れて、物理的には「新しい物差しで空間作りを見直すべき時かもしれない」と言う。私もネガティブな意味ではなく「それが時代の流れ」だと思っている。

 

そうした変化の理由は様々あるだろう。理由のひとつとして、その根底には「コストパフォーマンス」(コスパ)や「タイムパフォーマンス」(タイパ)などで表現される、効率的に自分の限られた時間を使うことに意識のウェイトが置かれ始めている面もあるのかな、と思う。

 

かく言う私も、年齢を重ねたことを理由にできるのかは分からないが、最近”ひとり時間”がやけに心地いい。”ひとり時間”を作ろうと意識しているところもある。

 

ただ、「人間関係」や本当の意味での「信頼」「共感」「感動」など、人との関わり合いの中でしか築けないもの、掴めないものがあるわけで、場面に応じてどう自分の行動を選択するか、そのバランス感覚がより必要な時代なんでしょう。

 

自由になりたくて 孤独になりたくない
放っておいてほしい 見捨てないでほしい

だれにも置き去りにされたくはない
だれをも置き去りにさせたくはない
我が身可愛いと心は揺れる

(中島みゆき「風にならないか」)

 

 春秋 2024年1月30日 日本経済新聞


 通勤電車の中で同僚を見かけたら、どうしますか。博報堂生活総合研究所が、仕事を持つ人たちにそんな問いを投げかけた。「見て見ぬふりをすることが多い」と答えた人は、1993年の調査では25.7%だった。しかし2023年は56.0%と、30年間で倍増した。
 ▼「ひとりマグマ」と題した同研究所の最新リポート※は、ひとりでの行動や時間を楽しむ人の増加を数字と事例で伝える。社員旅行も「できれば行きたくない」人が少数派から多数派へと転じた。夫や子供と家にいても「ラジオはイヤホンで聴く」という女性が理由を答えている。「番組に集中し、じっくり楽しみたいから」
 ▼コロナ禍でひとり過ごす快適さを知り、誰かといるのが以前よりストレスと感じるようになった。相手がひとり時間を楽しんでいるなら話しかけては逆に迷惑だろう……。さまざまな理由が重なってのことらしい。高級飲食店や宿泊施設でもひとり利用は珍しくない。場面や気分で使い分けるのが今どきの生活者だという。
 ▼「咳(せき)をしても一人」。この自由律俳句を詠んだ尾崎放哉は大卒後、保険会社を経て仕事からも家族からも離れ41歳で死んだ。寂しさを描いたとされる句も、今後は異なる受けとめ方をされるだろうか。ひとり時間を持ちにくい学校、仕事場、住宅、そして避難所――。新しい物差しで空間作りを見直すべき時かもしれない。

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🔗 博報堂生活総合研究所「ひとりマグマ「個」の時代の新・幸福論」

 

 

(愛用のワイヤレスイヤホン/JVCKENWOOD)