<2024.02.05>起稿

 

「当たり前」をひっくり返す

バザーリア・ニィリエ・フレイレが

奏でた「革命」
竹端 寛 著/現代書館

 

2018年11月15日刊

 

■本書概要
精神病院をなくしたバザーリア(1924-1980:イタリア)、入所施設の論理を破壊しノーマライゼーション原理を唱えたニィリエ(1924-2006:スウェーデン)、教育の抑圧性を告発したフレイレ(1921-1997:ブラジル)。動乱の時代に社会に大きな影響を与えた3人を貫く「実践の楽観主義」の今日的意義。

■目 次
第1章 アッセンブレアと対話
第2章 施設の論理を「括弧に入れる」
第3章 四十年後のトリエステ
第4章 ニィリエの「二つの人生」
第5章 一九六九年のニィリエ―時代の転換点
第6章 「ニィリエは自分で考えることを教えている!」
第7章 相手を変える前に自分が変わる
第8章 オープンダイアローグとの共通点
第9章 批判的な探求者
第10章 自由こそ治療だ

■著者紹介(担当編集者より)
1975年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治学科准教授を経て、現在、兵庫県立大学環境人間学部准教授。学生時代から大阪精神医療人権センターの権利擁護活動に加わり、スウェーデンでの在外研究期間中に「ノーマライゼーション・育ての父」ベンクト・ニィリエ氏にインタビューをしている。障がい者制度改革推進会議総合福祉部会の委員として総合福祉法案策定にかかわる。著書に『枠組み外しの旅』(青灯社)、『権利擁護が支援を変える』(現代書館)、『障害者総合福祉サービス法の展望』(共著、ミネルヴァ書房)、『福祉先進国における脱施設化と地域生活支援』(共著、現代書館)他。

■読後感
 学者が書いているため、その内容や文体などはアカデミックそのもの。読み始める前は“とっつきづらさ”があるが、読み始めると著者の主張が理路整然と伝わり、理解できる。ただ、私にとってちょっとした隙間時間に手軽に読める類の本ではなく、読了までに時間を要した。


 上の「本書概要」にある「実践の楽観主義」とはなにか。


 「この三人(バザーリア、ニィリエ、フレイレ)の思想に共通するのは、不可能を可能にするための、「認識枠組みの変化」である。それが、本書のタイトルにつけた「『当たり前』をひっくり返す」に込めた意味である。常識をひっくり返すためには、制度を批判するだけではダメである。制度や組織という「他者」を問い直す前に、まず自らの実践を問い直せるか、が問われている。「『現状ではこの程度しかできないのだ』と妙に割り切って、被害者然としている」ようでは、医療や福祉、教育のプロとは言えない。自らの現場で、どのような構造が問題になっているかを見抜き、不可能を可能にするための、できる一つの方法論を模索する。それが「実践の楽観主義」に込められたメッセージである」(本書216~217㌻)

 さらに分かり易く表現している箇所があるので、引用する。


 「僕たちが、普段「当たり前」だと思って、疑いもしないこと。それを括弧に入れて、本当にそうなのか、と疑いの眼差しを向けること。これは、言うは易く行うは難し、である(…)
 「ひきこもりは、甘えている人なのか?」「ホームレスは、怠けているのか?」「児童虐待する親は、ろくでもない極悪人なのか?」「認知症の人は何もわからないのか?」「障害のある子は、普通の子と違う場所で遊ぶ必要があるのか?」
こういった問いかけは、学生たちにとって、正面から深く考えたことではない、けれど、「そういうものだ」と思い込んでいる、暗黙の前提である。この「そういうものだ」というフレーズは、「どうせ」「しかたない」と同じ、宿命論的な呪いの言葉でもある。そう発言することで、深く考えることをやめ、その認知を強化させる機能をもつ。そうすることにより、世の中の支配的言説への疑いにも蓋をするようになり、社会構造の歪みに対しても、「そういうものだ」と唯々諾々と従う基盤がつくられる。(…)
 だが、この社会における生きづらさや理不尽さを何とかしたいと思うなら、宿命論や諦念に支配されず、その宿命論や諦念を形づくる「当たり前」こそ括弧に入れて、それがどのように構築されているのかをつぶさに観察することが大切だ。フレイレもニィリエもバザーリアも、この観察から全てをスタートさせた」(同222~224㌻)
 

 その「当たり前」をフラットに考え直す方法として、著者は「当たり前」を言葉にしてテーブルに乗せて、忌憚のない議論、対話を―別の表現では、意識して「当たり前」を取り払ったブレーンストーミングと言ってもいいのかも知れない―繰り広げることだと主張する。その際に大切なことは相手から学ぶという姿勢であると。相手から学ぶということは、時にそれまでの自己の認識や行動の変化を求められることであり、そこに「当たり前」を突き崩す鍵がある。