青山学院大学文学部教授の飯島渉氏は、新型コロナパンデミック下での「社会を記録する」こと提唱する。

氏が連携会員としてその作成に参画した日本学術会議の「新型コロナウイルス感染症のパンデミックをめぐる資料、記録、記憶の保全と継承のために」という提言を元に、「新型コロナ関係資料アーカイブズ」(仮称)の構築を目指したいと。

 

「新型コロナ関係資料アーカイブズ」は、新型コロナに関するクラウド型のデジタル・プラットフォームを構築し、コロナ下における資料などをデジタル化して時系列的に配置していく。そのデータベースには、一般の方々が残している個々の記憶を集約する機能を持たせ、メンバーシップを明確にしながら、その量的な拡大を図る。また「モノ」を残すために、既存の研究所などを活用し、博物館機能の拡大を進めるなど。

 

一般の方々も資料などを提供できるようにするという視点はうなづける。コロナ禍、その中で人々がどう闘い、対処し、生きて来たか。ハードルは幾つもあると思うが、未来の社会のために実現して欲しい。

 

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(提言)「新型コロナウイルス感染症のパンデミックをめぐる資料、記録、記憶の保全と継承のために」     日本学術会議

 

 

  (私の視点)消えゆく新型コロナの記憶 「社会の記録」保存早急に
飯島渉

2024年1月26日 朝日新聞

 

 新型コロナの感染症法上の類別を5類に変更して半年以上が過ぎた。「終息」ではないものの、4年ぶりに規制のない正月を過ごすことができた。2020年からのパンデミックは「終わりの始まり」を迎えている。
 20年3月、当時の安倍晋三内閣は新型コロナを「歴史的緊急事態」と閣議了解した。これにより、関係の公文書は国立公文書館などに移管される。歴史的検証に備えるため、適切に運用されることを期待する。しかし、それだけでは今後の新興感染症への備えは十分ではない。
 国や地方公共団体の公文書とともに重要なのは、新型コロナのパンデミック下での「社会を記録する」ことだ。例えば、学校の先生が作成した感染対策の注意書きやオンライン授業のために工夫した教材は、コロナ下のリアリティーを示す貴重な資料だ。「自粛警察」の存在を示す写真やビラは、自戒のための材料にすることができる。これらはSNSによって共有された情報を含め、重要な「社会の記録」である。
 今、こうした記録が急速に失われつつある。新型コロナのパンデミックの中で、企業、団体、地域社会、そして個人が膨大な資料、記録、記憶を蓄積した。しかし保全のための制度がないため、それらは廃棄されたり、忘却されたりしている。新型コロナ対策の最前線に位置した保健所に寄せられた市民の声もこのままでは残すことは難しい。
 昨年9月末、日本学術会議は「新型コロナウイルス感染症のパンデミックをめぐる資料、記録、記憶の保全と継承のために」という提言を公表した。私は連携会員としてその作成に参画した者として、改めて、「何を、誰が、どう残すか」が現在の課題であることを指摘したい。
 国立国会図書館が運営するポータルサイト「ひなぎく 東日本大震災アーカイブ」は、文書や写真、動画など様々な記録に誰でもアクセスすることができる。新型コロナでも同様のアーカイブを作ることは可能だろう。記録を保全・継承するための制度を早急に構築し、知見を共有することこそが、感染症への社会的対応を成熟したものとし、抵抗力を高めることになるからである。
 米国の歴史家アルフレッド・クロスビーは、20世紀初めのスペイン風邪の流行は「忘れられた」と指摘した。「社会を記録する」仕組みがなかったからである。パンデミックの教訓を生かすため、記録を「意図的に残す」ことは、ポストコロナの時代の喫緊の課題である。 (いいじまわたる 青山学院大学文学部教授)
 

 

 

※カバー写真:東京・神宮外苑いちょう並木(2023年12月 筆者撮影)

 

 

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