<2024.01.20>桑田佳祐箇所追記
<2024.01.18>

 

 

  2024年1月14日
「松山千春ONTHERADIO」(3)

 

番組の中で、昨年12月30日、急速進行性間質性肺炎のため73歳で死去した歌手の八代亜紀さんを偲び、語っていた。

 

 

さすがに俺は八代亜紀さんが亡くなるとは思わなかったなぁ。八代さんとは何度かお会いしたこともありますし、非常に歌の上手な…。また、あの声だよな。あれはもう他の人には出せないような声だからな。魅力的であったことは間違いない。(…)八代さん、ありがとうございました!

 

八代亜紀「なみだ恋」

 

 

 

八代亜紀さんは2008年2月に「役者」というシングルを出している。そのカップリングが松山千春作詞作曲の「宗谷岬」

 

松山千春が北の最果ての宗谷岬の情景を哀愁を漂わせて歌った佳曲。この曲を聴いた八代亜紀さん関係者が「ぜひ八代に歌わせたい」との要望で実現した。

 

 

 

 

さだまさしは八代亜紀さんの訃報が流れた1月9日に自身のインスタグラムで一枚の写真と一本の動画を投稿していた。

 

 

 

亜紀ちゃんまで、、、
「まさし〜」「亜紀ちゃん」と

呼び合っていたのに、

「さよなら」も言えなかった。
淋しいよ。

 

(画像Clickで動画に🔗)

 

2年と少し前
服部克久先生を送るコンサートの楽屋
あっ、大橋純子さんも元気だった。
胸が痛む
合掌

 

 

 

 

桑田佳祐が1月13日に放送のTOKYO FM「桑田佳祐のやさしい夜遊び」の中で、八代亜紀さんを追悼していた。その後八代亜紀さんの「もう一度逢いたい」をかけた。

 


もう、ほんとに八代亜紀さん、残念ですけどね。驚きました。『舟唄』をカバーさせていただいたことがあるんですけど」とコメント。「初めて紅白(歌合戦)にサザンで出た時、1979年かな?リハーサルがあったんですよ、当日じゃなくて事前。そこで初めてお会いした。え?八代亜紀さんだと思って。顔もちゃんと見てないんですけど。なぜか私と八代亜紀さんがペアになって、ひと目合ったその時から手をつないで、何かを練習したんですよ、よく覚えていないけど。うれしかったねぇ。あの方があまりにも美しくてね、スタイルが良くて色っぽくて。ほんとに良い匂いがしたの。

”トラック野郎”の女神ともいわれたんですよ。若いころの妖艶な八代さんを、ほんとに身に染みて感じました。偉大なる八代亜紀さんに感謝でございます。本当にありがとうございました。

それではちょっと聴いてみたいと思います。

八代亜紀さん、「もう一度逢いたい」