MBLの大谷翔平選手が贈ったグローブが日本各地の小学校に届き始めたことを1月9日、各メディアが一斉に報じた。

 

グローブには「私はこのグローブが、私たちの次の世代に夢を与え、勇気づけるためのシンボルとなることを望んでいます。それは、野球こそが、私が充実した人生を送る機会を与えてくれたスポーツだからです」などと綴られ、最後に「野球しようぜ」と締めくくられている大谷選手のメッセージも添えられているらしい。

 

小学生たちの喜ぶ顔が嬉しい。

 

私の友人が「子どもが通う地元の小学校にも届いた」とそのグローブの写真をアップしていた。

 

 

 

  キャンプ費、年俸に充当を、権藤博(悠々球論)
2023年12月28日 日本経済新聞


 ハワイで過ごす年末、巨人の菅野智之が率いる自主トレ旅行の一行と出くわすことがある。半分静養だろうと思って、菅野をゴルフに誘うと「いいです」といって乗ってこない。4勤1休くらいのペース、しかも一日中トレーニングで、遊ぶヒマがないらしい。

 我々のころのシーズンオフは完全に休みで、ボールを握ることもなかった。そんな選手の意識が「オフこそ鍛えどき」と変わったのは野茂英雄が渡米し、メジャーの情報が入るようになってからだ。

 メジャーはキャンプインも日本より遅く、2月中旬。練習も楽、と思われていた。ところが、実は一人の時間ができるオフにみっちり鍛えている。だからこそ長丁場のシーズンを乗り切り、大リーガーの地位を保てるのだ、ということがわかってきた。それで日本の選手も休まなくなった。

 現役のときに、それを知っていたら、と思う。私の投手人生は最初の2年で終わった。投げすぎといわれたが、よくなかったのはオフに休んだこと。毎日のように登板したシーズンから一転、オフは完全停止。熱した肩を急に冷やしたのだから、おかしくなるのも当然だ。

 選手の意識が高くなった今、球団側に考えてほしいのは、2月、丸々1カ月のキャンプが必要か、ということ。正月でも球を握って練習している選手たちは、いつでも実戦に入れる。3月に集合しても、開幕に間に合うだろう。

 西武が来年のキャンプを〝解禁日〟の2月1日でなく、6日から始めるという。今年に続く、短縮キャンプだ。経費節減のためとみる向きもあるが、私にいわせれば、理由はどうであれ、大いに結構。

 キャンプは想像以上に経費がかかる。細かいことをいえば、大人数のユニホームのクリーニング代だけでも、日々相当の額になる。とっくに準備ができている選手たちを拘束し、お金をかけるのはもったいない。

 そんなお金があるなら、選手の年俸に回した方がいい。日米の垣根がなくなった今、給与水準を少しでもメジャーに近づけていかないと、選手を吸い上げられる一方になる。(野球評論家)

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 私自身は野球に関する知識はまったくないし、やったこともない。大小関わらずボールを相手にする競技はからっきしだめで、中学生の頃から、柔道、空手と、ボールを使わない格闘技に明け暮れていた。

 

 そのため、こうした野球に関する記事の具体的な内容にはピンと来ないわけだが、ここで権藤氏が書いていることの本質みたいなところはよく分かる。すなわち「選手の意識が高くなった今、球団側に考えてほしいのは、2月、丸々1カ月のキャンプが必要か、ということ」とのくだり。

 現実やそこに生きる人達の感覚、手法が完全に変化しているにも関わらず、一方ではそれに気づかず、これまで繰り返して来たことを、これでいいのか?との検証をしないまま、また同じことをする。

 

 ここは私自身が仕事をするうえで、一番意識を働かせているところ。ところが、従来当たり前に行われていることに「これでいいのか?」との検証の視線を向けることはとても難しい。そもそもそういう思考のベクトルが働かないことが多い。私も若手から進言されて、そうだった、それはもう現実にマッチしていないな。そのとおりだ、と気づくことも多々ある。

 

 しかし、人々の感覚や時代の様相がこれだけ多様化してくると、従来の価値観ややり方は通用しないことを重々弁えて事に当たらないと仕損じるだろうことを肌で感じている。「これまでこうだったから」という無意識に似た感覚は、別の言い方をすれば「思考停止状態」と言っていいだろう。そこを抜け出し、当たり前を捨てて思考を巡らせる姿勢が必要。まだまだ精進。