アリスの「狂った果実」(作詞:谷村新司1980年)の主人公の名前を「果実」としよう。果実は幸福に暮らすには冷たすぎる時代の中で心荒み自暴自棄な日々を送っていたが、ただひとつ、自分の中に消えない声があった。「家を出たあの時の母のふるえる声は 今でも耳に響いてる 低く高く」―果実が家を飛び出す時、母が泣きながらかけ声だったろう。▼筆者の恩師はかつて教えてくださった。「その人の中から母の笑顔が消えない限り、その人は絶対に人生の道を過つことはない」。年齢を重ねるほど実感として響く。そのとおりだ、と。▼筆者の中に1988年3月、45歳で逝った母の笑顔はいつも生きている。今も響く母の声がある。「親を気遣う必要はない。お前はお前の生きたい道を生きなさい!それがお父さんの願いでもあるでしょ」。1988年の1月、母の看病、ベッドの隣りで「おふくろや親父のこともあるので、俺、大学を卒業したら山梨に帰って来るよ」と言った時の母の言葉である。叱咤と言っていい強い言葉だった。▼父が舌癌の闘病中に筆者に言った。「もし我が家に宿命があるとしたら、俺が全部止める。俺が全部持って行って、お前たちや孫たちが苦労しないように頑張るからな」―もうすぐ筆者の子ども(孫)が生まれる時の言葉。父が高校生の頃からうち続く家庭の苦労を乗り越えて来て、妻まで早くに亡くした。今また自分が癌と闘っていた。親になって、父のこの声が途轍もなく大きな力をもって響いて来る。「親父、よく分かるよ」。母と父の声に励まされ、思いに包まれて、家族とともに今楽しく暮らしている。▼2023年の大晦日、風の便りに果実のその後の人生を聞いた。あれから43年、還暦を迎えたという。果実の中に低く高く響く母の声を支えに頑張り、今幸福に暮らしていると。どんなに年齢と時を重ねても、母の力は偉大であり、恩は大海よりもなお深い。父の恩はヒマラヤを遥かに凌いで高い。(虹)2023.12.31-

 

(高校時代まで過ごしたふるさと山梨)