<2023.1130>起稿

 

《書籍》

関西フォークとその時代

声の対抗文化と現代詩

 

 

瀬崎 圭二(著)/青弓社
四六判  300ページ 並製
定価 2800円+税
2023年10月25日 刊行
 

 

紹介
ベトナム反戦運動や学生運動を背景に、社会批判や反戦のメッセージを込めた関西フォークは、多くの若者を引き付け、強い支持を得た。1969年の新宿駅西口広場でのフォークゲリラにつながる関西フォークはどのように現れ、どのような人々が関わり、何を表現し歌ったムーブメントだったのか。

本書では、関西フォークの歌詞と現代詩との関わりに着目して、岡林信康、高田渡、松本隆、友部正人などのフォークシンガーの音楽実践を「ことば」を中心に描き出す。そして、歌い手をサポートした片桐ユズルや有馬敲らの文学者・文化人の活動やその意義にも光を当てる。

関西という地でフォークソングを歌い新たな表現を追い求めた若者たちとそれを支えた文化人の交流の場として関西フォークを位置づけ、「声の対抗文化」として評価する。関西フォークの音楽性や文学運動としての側面を検証する研究書。片桐ユズルへのインタビューも収録。

目次
序 章 現代詩を超えて
第1章 片桐ユズルとアメリカ
第2章 関西フォークを支えた作家たち
第3章 〝フォークの神様〟岡林信康と農村回帰
第4章 高田渡が歌う演歌と現代詩
第5章 フォークゲリラの登場
第6章 文学青年・松本隆の〝風〟と〝街〟
第7章 詩人・友部正人の可能性
終 章 〈関西〉なるもの
付 録 片桐ユズルさんが語った関西フォーク

著者プロフィル
瀬崎 圭二(セザキ ケイジ)
1974年、広島県生まれ。同志社大学文学部教授。専攻は日本近代文学、文化研究。著書に『テレビドラマと戦後文学―芸術と大衆性のあいだ』(森話社)、『海辺の恋と日本人―ひと夏の物語と近代』(青弓社)、『流行と虚栄の生成―消費文化を映す日本近代文学』(世界思想社)など。※上記内容は本書刊行時のものです。

 

読後所感

 あらためて書くまでもないが、元来、フォークソングはアメリカの民謡を指す。アメリカの民謡と言っても、ヨーロッパから伝わった伝承歌、先住民の伝承歌、黒人たちの伝承歌、労働の中で生まれた歌、国民的な愛唱歌、またそれらに類するものなど多くの要素を包含しているわけで、それらをまとめて表現すれば「民衆の価値観や生活の実感から生まれたもの」(本書12㌻)と定義づけられる。
 そのフォークシンガーの代表格として活躍し始めたのがウッディ・ガスリー(1930年代)であり、ピート・シーガー(1940年代)である。彼らの歌の性質は「反体制的なフォークソング」(同)、「プロテストソング」(同)であった。その性質は1950年代に入り公民権運動の中でジョーン・バエズやピーター・ポール&マリー、ボブ・ディランらに受け継がれていく。そしてアメリカがベトナム戦争への介入を強めていくにつれ、彼らの歌は政治的な色合いが濃くなっていった。
 一方で1950年代後半のアメリカではキングストン・トリオやブラザーズ・フォアら、いわゆるモダンフォークのグループの曲がヒットチャートを賑わし、一種の流行歌としての性質を帯びたフォークソングも登場した。
 このアメリカの流れが1960年代に日本に入って来ると、モダンフォークの流れはそれらを歌うカレッジフォークとして、あえて言えば主に東京を中心に若者の間に流行歌として広まった。それに対して1960年代後半、関西のフォークグループやシンガーたちが登場してきた。ザ・フォーク・クルセダーズなどはその代表格で、彼らが歌う「帰って来たヨッパライ」が大ヒットしたことはご存知のとおりである。それとほぼ同じ時期に高石友也が注目を集め始める。高石は1966年4月に大阪にやってきてその日暮らしの中でフォークソングを歌い始め、ヒット曲を生んだ。この高石に影響を受けて歌い始めたのが岡林信康である。本書ではこの二人を関西フォークの源流として位置付ける。

 

(岡林信康)

 

 とくに岡林については一章(第3章「“フォークの神様”岡林信康と農村回帰」)を立て、岡林の生い立ちから当時の行動などにスポットをあて、楽曲としては「山谷ブルース」「くそくらえ節」「がいこつの唄」「チューリップのアップリケ」「性と文化の革命」を取り上げ解説を加えている。この第3章はとても興味深い。岡林の生き方(生活)から発した数々のフォークソングが関西フォークの源流のひとつであり象徴。岡林が時代の流れとどう向き合い、闘っていったのかが鮮明に描かれている。また、なぜ岡林が“フォークの神様”と呼ばれているのかも把握することができる。
 そして当時関西で活動していた多くのフォークシンガーたちやグループが在籍していたのは、プロモーターの秦政明が1969年に設立したアングラ・レコード・クラブ(URC)だった。現在で言えばインディーズレーベル。高石や岡林の歌は、ラジオの深夜放送やライブを通して広まっていったが、その特徴は「アマチュア性や反体制的な歌詞にあった。とくに岡林の歌詞にはかなり過激な社会批判もみられ、大手のレーベルからレコードをリリースしようとすると発売禁止になるケースも生じていた」(13㌻)。そうした状況を打破するために設立されたのがURCであり、関西フォークの広がりを考える際にはラジオの深夜放送とURCの存在は欠かせない。この二つがメジャーな音楽シーンとは別の流れで若者たちにフォークソングを、なかんずく「関西フォーク」を届けた。
 1965年4月には「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」(べ平連)が発足し、ベトナム戦争に非を唱え様々な運動を展開していた。アメリカの公民権運動にはフォークシンガー、ジョーン・バエズとその歌があったように、日本の反戦運動にもフォークソング、就中プロテストソング(抵抗の歌)が必要だった。ゆえにべ平連は早くからフォークソングに注目していた。べ平連の集会などでフォークソングを歌いながらデモ行進し、フォークデモとでも言える運動を展開していく。そうした運動が、歴史的にも有名な新宿駅西口地下広場でのフォークゲリラを生んだ。1969年2月27日(一説には28日)、新宿駅西口地下広場でフォークソングによるアピールを行い、通行人も巻き込んで最大7,000人もの人々を集めたという(189㌻)。そこには同じ主義主張を持つ者同士が“一緒に歌う”という行為を見て取れる。それも関西フォークの特徴のひとつでもある。

 

(新宿西口のフォークゲリラ/本書189㌻)

 

 ここまで長々と書いてきてしまったが、これから読まれる方もいらっしゃると思うので、話しを飛ばす。


 では、アングラ性(アンダーグラウンドの略:非公式な活動、反体制的な文化などの意)=プロテスト性(反体制的な主張や抗議などの意)と強いメッセージ性の歌詞を象徴とするフォークソングがなぜ「関西フォーク」と呼ばれるのか、なぜ「関西」だったのか、という根本的な問いが立ち現われて来る。答えの一端を述べれば、そこに「関西」という地の風土的なものが関与しているはずである。それは「根強い庶民感覚や在野意識」「東京に対する強い対抗心」「笑い倒してナンボ、おちょくってナンボという気質」(294㌻ほか)などと言い換えられるであろう。私もそれは肌感覚としてよく分かるし、なかば世間の共通認識にまでなっているようにも思う。ただ、そうしたものを本書のような研究図書で論じていくには感覚的過ぎる。つまり、確かにそうだと思うが、そう言える根拠を明確に示すことができない“感覚的なもの”は、論理的に結論づけられるものではなく、研究図書には馴染まない。それでも著者は、関西という地は、そこに生きる人々の「感覚や意識、気質と、フォークが内包する原初的な性質は見事に調和しているだろう」と結論づける(295㌻)。
 さらに著者は独自の意味づけを披歴する。「関西フォークの<関西>は、地域としてではなく、他者同士が交流し融合していく流動的な場として捉えたほうがいいのではないだろうか。関西フォークの<関西>とは、その場に集まった民衆や若者たちの声のざわめきの比喩であると言っていい」(297㌻)。そして「その声の姿は、若者たちの間に流行歌として広まっていたカレッジフォークとは異質なものだった。だから、それを外部から捉えた<関西>フォークというネーミングがなされるのである」(同)と。結論として「様々な構成要素からなる<関西>フォークとは、民衆の一人として自らの思いを<うた>にしていった若者たちと、それを支えた知識人たちによる声の対抗文化だったのである」(298㌻)
 最後に、あらためて本書は「関西フォーク」という、ある意味前時代的響きを称えた局部的な領域を切り口に研究し論じているがゆえに、そのことにある程度関心があるマニアの方しか手にすることはないかもしれない。ただ、本書で論じられている<関西>フォークと<うた>は、松山千春、長渕剛、小田和正、浜田省吾、中島みゆき、さだまさし、南こうせつら、私が日頃聴き親しんでいるシンガーたちが今もその存在をかけて、もっと言えば命をかけて生み出す歌と発するメッセージ、そしてそれを伝える手立て、歌い手としての根本的な生き方とに大なり小なり間違いなく共通点を見出せる―本書を読んでその認識をさらに深くした。
 全編を、とまでは言わない。「序章 現代詩を超えて」「第3章 “フォークの神様”岡林信康と農村回帰」「第5章 フォークゲリラの登場」「終章 <関西>なるもの」の4つの章を読むだけでもじゅうぶん価値がある。お読みいただくことを強く推奨するものある。

 

 

 

岡林信康―「山谷ブルース」(1969年/公式音源)