<2023.11.08>起稿

 

(「倒木の敗者復活戦」を歌う中島みゆき)

 

中島みゆき「倒木の敗者復活戦」

オリジナルアルバム『常夜灯』(2012年10月24日)収録

 

 

ライブ映像作品『中島みゆき縁会2012~3』(2014年10月29日)収録

 

 

また、2016年11月16日、1996年の『大吟醸』以来20年振りに発売されたベストアルバム「中島みゆき・21世紀ベストセレクション『前途』」にも収録

 

 

このベストアルバムには中島みゆき作品史上初の本人による収録全楽曲ごとのライナーノーツが封入されている。

 

「倒木の敗者復活戦」について―

「あまりにも悲惨だった東日本大震災は、私の作品に於いても、発表を控えたり、表現を変更せざるを得ない事態が、いくつか起きた。そんな中で、逆にこの曲の「倒木の」が「東北の」と、聞き取れるとして、受け入れていただく結果になったのも、大震災の影響の一つであったと思われるが、それはそれで否定するまでもないと考えている」

「倒木の敗者復活戦」は東日本大震災後の東北へのエールとして歌っているのではないか?「倒木」は「東北」のことではないのか?当時そんな憶測がネット上で飛び交っていた。

 

ライナーノーツを読んだ時、「倒木」を「東北」と解釈することを中島みゆきが肯定しているようにも取れるが、私は、その本意は、自分がひとつの曲をリリースした後は聴き手のものであり、曲を聴いて聴き手が感じることを一切否定しないということを言っているのだと思った。

 

きっとそれは歌に限らず、小説も、映画も、絵画も…作り手が作品をリリースした後は、それをどう感じるかはどこまでも受け止める側一人一人のテーマだと思っている。


ちなみにこのベストアルバムの特設サイト🔗には『中島みゆきは「時代」と「糸」だけじゃない!』とのキャッチコピーが入っている。ある意味時間をかけて自然と固定化されてきたその人へのイメージを、本人サイドが逆手にとってPRに使う手法、個人的には大好きである。

 

 

「倒木の敗者復活戦」


(同上)

打ちのめされても、踏み倒されても、叩き折られても、貶められても、その人が生まれてきた意味や尊厳性、持っている可能性までもが否定されたわけではまったくない。そこで人生のすべてが終わるわけでもまたまったくない。

その時は、傍から見たら、誰がどう見ても「完膚(かんぷ)無きまでの負けに違いない」かもしれない。地べたを這いつくばるようなみじめな気持ちに苛まれるかもしれない。でもその人の尊さは何一つ変わらない。

嗤(わら)うな傷ある者よ
驕(おご)るな傷ある者よ


「嗤う」は、相手をバカにしたり見下すような気持ちを込めて笑うこと。いい意味ではない。「驕る」は、何かを誇って思い上がった振る舞いをすること。いい響きはない。

「傷ある者」に対して自分自身を「嗤うな」「驕るな」と言う。その理由はきっと上に書いたとおりだが。

 

一人の人間の存在は絶対的に尊い。一人の人間の可能性は時に自分でも認識できないほど無限だろう。それなのに一時の表面的な失敗や挫折した自分に対して、自身が嗤い、自身が驕る。それは自分で自分を貶めているようなもの。だから「嗤うな傷ある者よ 驕るな傷ある者よ」

 


望みの糸は切れても 救いの糸は切れない

一時の失敗や挫折でもう「望みの糸」が途切れてしまったと思うことがあるかもしれない。でも「救いの糸」は決して切れていない。

自分の存在をかけて必死に取り組んできたことが挫折することはある、何度もある。でも、必死に取り組んできたというそのことは、挫折した時に実は違う道を教えてくれ、別の可能性を芽吹かせている。それを「救いの糸」と綴ったと捉えている。

ヘレン・ケラー(アメリカ/平和論者、政治活動家、講演家)が「ひとつの幸せのドアが閉じる時、もうひとつのドアが開く。しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気付かない」と言ったとおりである。

ゆえに「望みの糸は切れても 救いの糸は切れない」

 

だからこそ「傷から芽を出せ 倒木の復活戦」、傷から芽を出すのである。失敗から新たな道を開くのである。そう考えると「倒木」は決して「敗者」を意味しない。

負けたものがもう一度チャレンジすることを慣例的に「敗者復活戦」と呼ぶことがある。この曲のタイトルや歌詞の一部にある「敗者復活戦」はその意味だろうと捉えている。

見つめるべきは失敗ではなく、そこに向けて自分が魂を込め全力を注いだのか、ということ。そして傷から生まれた新しい芽、新たに開いたドア。

 

傷から芽を出せ 倒木の復活戦



中島みゆき「縁会」2012~3

ダイジェスト・トレーラー(公式)
※「倒木の敗者復活戦」08:55~09:45


打ちのめされたら 打ちひしがれたら
値打ちはそこ止まりだろうか
踏み倒されたら 踏みにじられたら
答はそこ止まりだろうか
光へ翔び去る翼の羽音(はおと)を 地べたで聞きながら
望みの糸は切れても 救いの糸は切れない
泣き慣れた者は強かろう 敗者復活戦
あざ嗤(わら)え英雄よ 嗤(わら)うな傷ある者よ
傷から芽を出せ 倒木の復活戦

叩き折られたら 貶(おとし)められたら
宇宙はそこ止まりだろうか
完膚(かんぷ)無(な)きまでの負けに違いない

誰から眺めても
望みの糸は切れても 救いの糸は切れない
泣き慣れた者は強かろう 敗者復活戦
勝ち驕(おご)れ英雄よ 驕(おご)るな傷ある者よ
傷から芽を出せ 倒木の復活戦
傷から芽を出せ 倒木の復活戦
傷から芽を出せ 倒木の復活戦

 

 

(同上)