谷村新司さんの訃報はNHKをはじめ多くのテレビ、新聞等が取り上げた。さらに中国外務省が「中日両国民の心の架け橋となり、その友好に尽力した」とし、弔意を示した。
それらの中で”人々の心に訴えかけること”を信条とする新聞各紙のコラムが追悼の意を表していたので、日本経済新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞の順にそれらを抽出した。その下に付録記事2本も入れた。
(公式ライブ映像)
【谷村新司「昴ーすばるー」】リサイタル 2023「THE SINGER」
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「春秋」2023年10月18日
日本経済新聞
1970年代後半の話である。中学の同級生が、教室に教育上よろしくない雑誌を持ち込み、社会科の若い教師に没収された。先生は「アリス」のファンだった。悪友は「谷村新司も、この手の本の収集家だそうです」などと釈明。先生はニヤリと笑い、返してくれた。
▼チンペイさんが、音楽のヒーローから私たちの「神」になった瞬間である。東京・神田神保町に「芳賀書店」という素晴らしい品ぞろえの本屋さんがある。ポリエチレン製の袋に包装されて、立ち読みはできないけど。そう教えてくれたのも、彼の深夜の番組だったような気がする。親しみやすい兄貴のような存在だった。
▼谷村さんの訃報に接し、帰らざる日々がよみがえる。アリスの曲で初めてギターの弾き語りを覚えた。そんな方もいるのではないか。「冬の稲妻」は、3つのコードでなんとか演奏できる。できの悪い、ものまね芸だったけれど。でも、コピーしたくなる何かがあった。人の痛みに共鳴するぬくもりのようなものだろうか。
▼団塊の世代だ。が、楽曲に社会的メッセージを託すことは好まなかった。「それよりあのコから電話がかかってこない。どうして? という歌のほうが自然」と語った。美しい旋律と歌詞は、中国の人々も魅了した。「野辺に咲きたる一輪の 花に似てはかなきは人の命か」とは「群青」の一節だ。名曲を胸に献杯したい。
[編集手帳]2023年10月17日
読売新聞
AMラジオって、午前中だけ聞こえるラジオのこと? そんな思い違いを誰もするはずのない深夜放送の全盛期、谷村新司さんはパーソナリティーとして活躍していた◆「天才・秀才・バカ」という投稿コーナーがあった。PTAが顔をしかめるような笑いを楽しみに、谷村さんの声に耳を傾けたのを思い出す。「冬の稲妻」などアリスが次々に大ヒットを飛ばしていた時代でもあった◆ハードにかき鳴らすギターのように格好いいばかりでなく、くだけて見せるところが谷村さんの魅力だろう。きのう、10月8日に急逝したことが公式サイトで報告された。74歳だった◆「中学1年で72キロ。内気な肥満児でした」と本紙に語ったことがある。女の子にモテたい一心でギターをはじめたという。「昴」「いい日旅立ち」といった名曲を書くに至った出発点でさえ、青春の屈託を交えて話さずにいられない谷村さんである◆来年もアリスを再結集する計画を進めていたと聞く。堀内孝雄さん(べーヤン)、矢沢透さん(キンちゃん)とともに伝説のバンドが甦(よみがえ)る——ファンの願い叶(かな)わず、チンペイさんが逝ってしまった。
(天声人語)谷村新司さん逝く
2023年10月18日 朝日新聞
アリスの歌詞のほとんどは、谷村新司さんが手がけたものだった。「ボクは、言葉を守ってきた」。生前のインタビューにそんな述懐がある。先人が育ててきた“うた”という大樹をさらに茂らせる。「詞だけを見ても『谷村文学』でありたい」▼それが何より表れたのは、ソロの代表作「昴(すばる)」かもしれない。眼(め)閉づれど/心にうかぶ何もなし。/さびしくもまた眼をあけるかな――。石川啄木が歌集「悲しき玩具」に刻んだ心は、谷村さんの中で血肉となったのだろう。生まれた壮大な楽曲は海を越えて口ずさまれている▼人生が決まったのは中学生の時。近所の和楽器屋のショーケースに、なぜか中古ギターが1本売られていた。洋楽のレコードを何度もかけては、音を一つひとつ拾ってまねた▼そんな体験ゆえか。アリスの曲づくりでは初心者が弾けることを目指したという。シンプルであれ。難しくするのは簡単である、と。「時代を突き抜けて行く“スタンダード”というのは、そういうものなのだ」(『夢創力。』)▼わが幼心をふり返れば、男の色気というものを初めて感じたのは、谷村さんの歌だった覚えがある。力強く、ときに哀愁たっぷりに。「遠くで汽笛を聞きながら」「いい日旅立ち」などの名曲を残して、谷村さんが74歳で逝ってしまった▼星のすばるはこの時期、真夜中に南中する。青白くかすんで見えるのは、天の乙女が悲しみに泣きぬれているからだ、という。〈我は行く。さらば昴よ〉。星が流れた。
余録:1970年の大阪万博でステージに立ち…
2023年10月17日 毎日新聞
1970年の大阪万博でステージに立ち、閉幕後、無計画な北米横断公演に加わった。資金が尽き、メキシコで「日本一のアーティスト」と偽って大舞台に登場し、緊張で吐きそうになった。ラジオでも語っていたアマチュア時代のエピソードだ▲米国で伝説的ロック歌手、ジャニス・ジョプリンらの公演を見て刺激を受けた。帰国後、アリスを結成し、「冬の稲妻」「チャンピオン」などのヒットで国民的存在に。「10年間……400億円」。81年の解散コンサートの記事の見出しである▲74歳で亡くなった谷村新司さん。大阪育ちの団塊世代。中学で洋楽に目覚めたが、父母は明治生まれで母は三味線が得意だった。作品に「和」の要素が感じられるのはそのためか。代表曲の「昴(すばる)」はアジア各地で歓迎された▲アリスは解散直前、北京で日本の音楽グループとして初の単独公演を行った。改革・開放政策を始めた〓小平氏も会場に姿を見せ、拍手を送った。後に上海音楽学院で教壇に立ち、日中の文化交流に尽くす原点だった▲山口百恵さんの「いい日旅立ち」。加山雄三さんと創り上げた「サライ」。ソロ活動でも時代を代表する作品が多い。選抜高校野球大会歌「今ありて」を作詞した阿久悠さんは「作曲は谷村さん」を条件にしたそうだ▲昨年まで小児がんなど難病と闘う子供や家族を励ます「生きる」コンサートの舞台に立っていた。人々を元気づけてきた語り口や笑顔が失われるのはつらいが、名曲の数々は今後も歌い継がれる。
(付録1)
谷村新司さんに中国が哀悼の意 2023年10月18日 日本経済新聞
「日中友好に貢献」
【北京=田島如生】中国外務省は17日、8日に死去したシンガーソングライターの谷村新司さんに哀悼の意を表した。毛寧副報道局長は記者会見で「谷村氏は音楽で中日両国民の心の架け橋となり、実際の行動で中日友好に積極的な貢献をした」と述べた。
谷村氏は中国で何度も公演し、2004年に上海音楽学院の教授に就くなど日中の文化交流に長く関わってきた。毛氏は「中国で多くの作品が人気を集め、中国人に深く愛された」と語った。「谷村氏は亡くなったが、その功績は残り続ける」と弔意を示した。
(付録2)
評伝:谷村新司さん死去 さらば、愛の歌い手 作風幅広く
2023年10月17日 毎日新聞
フォークから出発し、ロック、ポップス、シャンソンと幅広いジャンルをたどる中で、「昴-すばる-」「群青」「いい日旅立ち」など、一時のヒットにとどまらず、国境や時代を超えて老若男女に愛されるスタンダードナンバーを多数残した。壮大なスケールの曲から故郷の原風景や旅情をうたう曲まで作風はさまざまだったが、音楽人生で一貫して大切にしていたのはさまざまな形の愛をうたうラブソングだった。
音楽の原点は青春時代のコンプレックスという。書籍「わたしの失敗II」によると、小学3年生までは成績優秀、運動も得意で、同級生の間で人気者だった。しかし次第に体重が増加。中学時代、「楽器が弾けたら女の子にモテるかも」とギターを手にしたのが全ての始まりだった。
1972年のデビュー当時、フォーク界を席巻していたのは岡林信康さんや吉田拓郎さん。彼らが先鋭的な若者の文化や社会への批判をうたって大衆の熱狂的支持をつかむ中、谷村さんは最初からラブソングをうたった。
デビュー曲「走っておいで恋人よ」も「軟弱だ」などと評された。だが、音楽評論家の富澤一誠さんによると、「その後も故郷への愛をうたった『サライ』や、旅を愛する心情が投影された『三都物語』に代表されるように、男女間に限らず、人間、四季、地球などさまざまに形を変えながら愛を表現した」という。
谷村さんの愛は周囲の人々への配慮にも表れていた。自身がホスト役を務めた音楽テレビ番組では、毎回ゲストを招いてデュエットしたが、「相手にキーを合わせるなど、いつも最大限の心配りをしていた」と番組関係者は証言する。
また、2007年から毎日新聞の小児がん征圧キャンペーン「生きる」にも共鳴し、長年出演を続けた。参加動機について、当時インタビューで「私の大切な音楽仲間、森山(良子)さんが始められたと知りとても感動しました。病気と闘う子どもたちや支えていらっしゃる人たちへの応援として『歌』がお役に立つことは、我々、音楽人にとって何よりの喜びです」と語っていた。中国など諸外国のアーティストとの交流もライフワークにしており、「生きる」には自身が亡くなる前年まで出演。最後まで心に愛をたたえた音楽家だった。【伊藤遥】
◇「信じない」「親友でライバル」
谷村さんと親交のあったアーティストから哀悼の声が相次いだ。
「ショックと悲しみで正直混乱しています」
谷村さんと同じステージで歌い、チャリティー番組「24時間テレビ」(日本テレビ系)のエンディングで歌われている「サライ」を共作した加山雄三さんは、自身の公式サイトでコメントを発表。「たくさんの場所で一緒に歌ったよな! ほんとの兄弟のように慕ってくれて一緒にいる時は本当にいつも楽しかったよ」と語りかけ、「一言だけ彼に伝えるなら、やっぱり『ありがとう』。この感謝の言葉しか見当たりません」と冥福を祈った。
1970年代から第一線で活躍を共にした、シンガー・ソングライターのさだまさしさんは自身のインスタグラムを更新。笑顔の2ショット写真を添え、「いやいや、俺は信じない。何度か電話しても出ないから、どっか旅にでも出たに決まってる」と、突然の訃報を受け入れがたい心境を明かした。
「アリス」の他のメンバー2人も沈痛な心持ちを明かした。
堀内孝雄さんは「チンペイさん」と谷村さんの愛称で語りかけ、「僕にとってのチンペイさんは50年来の親友であり、『アリス』のリーダーであり、そして良きライバルでした」とコメント。矢沢透さんも「悲しいというより悔しいんです。どうか谷村を忘れないでください」などとつづった。【屋代尚則、伊藤遥】