かなり久しぶりに所用で飯田橋界隈。

 

JR飯田橋駅~ブログ上でお付き合いいただいている松山千春ファンのアゴラ的存在の方ごひいきの、東(口)のラーメン・高はしか?長渕剛も行った西(口)の蕎麦・蕎楽亭(きょうらくてい)か?

 

忍、不忍、神楽坂、かみしめるようなちっぽけな僕の人生と、そろそろ新蕎麦シーズンを思いながら、神楽坂を上がって左折。

久しぶりに蕎楽亭

 

 

ひやむぎ&そば相盛りのむぎのめおと

 

 

 

帰りがけ、この後会いに行く方に手土産。同じく神楽坂、梅花亭

 

 

炎天下でもないので一駅ぐらいと、神楽坂(飯田橋駅)から市ヶ谷駅まで歩いたが、やっぱり暑い!ドラマ「VIVANT」の初回、砂漠を歩いているシーンと同じ気がしてきた(…そんなことはない)。

 

後悔した。振り向かないでこの道を歩き続けてほしいから♬、戻るに戻れず。まぁ、いい運動になった。

 

 

(写真向かって右にあと30歩いくと市ヶ谷駅)

 

世界中で一番 たどりつきたい場所は
自分の心にある 青く澄んだ遠い場所
手に入れた自由に 淋しさを感じても
Good times Bad times あきらめない
いつか 飛び立てる時まで

(渡辺美里「世界で一番遠い場所」)

 

 

さて、去年9月に開催した大学時代の同窓会。あれからもう一年。あの時久しぶりに会った東京在住の仲間4人で、過ぎ行きそうな猛暑を笑顔で見送る暑気払いの一席を持った。ちょっとだけ高級な焼鳥店。

 

大学卒業以来33年。髪の毛が無くなったに近い状態のやつ、この33年間ですくすく育ち、成長し過ぎて当時の雰囲気が無くなったやつ、それぞれ無くしたものは多々あれど、話せばあの時のまま、19のままさ。

 

みんな元気でよかった。

 

 

 

いつしか大人になりわかったことは
大人もみんな迷っていたんだっていうこと
拝啓 先生 あの頃 あなたも迷っていたんですね
前略 父さん母さん あなたたちもこの風に吹かれていたんだと
この向かい風に立ち向かっていたんだと
遅まきながら知った気がした あれは平成十年

 

言い忘れたけど この旅の途中から僕にも
愛する人と二人のかわいい道連れがいて
僕はもう僕だけのものではなくなり
つまりこの人生の旅も もう僕だけのものじゃない
窓を眺めながらこぼれた この涙はなんだろう? 平成十五年

 

このレールの向こうに広がる世界 さあ行こう 旅を続けよう
今また旅立ちのベルが街に鳴り響き 列車が動き出す
どんな時も向かい風に立ち向かう 勇敢な冒険者でありたい

(馬場俊英「人生という名の列車」)

 

 

先週治ったはずの帯状疱疹。19日の夜から、今度は左側の背中が、先週の右以上に痛み始めた。呼吸するのも痛い。とにかく痛い。悪いことに20日は休診日。21日の午前中、”そんなに早い時間に行くのか?”と思えるほど早く病院に行った。診察開始時間は変わらない。

 

「先週の帯状疱疹が治った状態で、すぐに反対が痛むことはまずないんですけどね。整形外科にも行かれた方がいいですよ」

 

「いえいえ、寝違えたとかそういう筋肉痛とは明らかに痛みの質と激しさが違うんですよ。24時間鈍痛があり、時に刺すような痛みが何度も押し寄せるんですよ」

 

「そうですか~。じゃ、とにかく痛み止めを出しますね」

 

「それにご心配のお言葉をいただいた方々に、もうブログ上で治ったお礼を言っちゃったんですよ。なので、引くに引けない」

 

あの女性医師とそんなやりとりをしている間も痛くてしょうがいない。冒頭書いたように、昼からは飯田橋界隈にどうしても行かなくてはいけない…。

 

ネット上で今の症状を入力し、ラフなセルフ診断(的なもの)してみたら、出た結論は帯状疱疹や肋間神経痛。ん~、肋間神経痛だな。神経の痛みのような気がする。そんなセルフ診断をしている間も痛くてしょうがない。

 

どうにもこうにも「痛み」というのはやる気を削ぐ。戦意喪失、何もしたくなくなる。かと言って休んでいればいいかと言うと、横になっている間も常に痛い。横になることも含めて、やっぱり何もしたくなくなる。

 

長渕剛は「なにか体に痛みや、苦しみがあることで俺は生きていることを実感する」(主旨)と言っていたが、今はそういう話しはどうでもいい。

 

かくして

 

「そして 今日も 生きております 何て楽しい人生なのか」松山千春「生きております」)

 

最後の曲、松山千春、「生きております」で本稿はお別れです。最後までお読みいただきありがとうございました。みなさん、よい週末をお過ごしください。お元気で。