三浦知良さんが日本経済新聞で連載し、三浦知良さんのオフィシャルサイトともリンクしているコラム「サッカー人として」。9月1日日本経済新聞には『アスリートの敵、疲労を手なずけたい』と題して掲載されていた(下の青字タイル以降に全文記載)。

 

 疲労を手なずける…疲労を自分のコントロール下に置くという意味なのだろう。疲労に支配されないこと。その疲労は肉体的なものと精神的なものの両面を含んでいるように思う。

 

 三浦知良さんの場合、その方法は「自分がやりたいことをやる」。「食べたいものを食べる。練習もたくさんやる。休みたいときは休み、遊びたいなら遊ぶ。自宅で悩まない。外に出て人に会い、たわいもない話やその時間を楽しむ。そこではサッカーを頭から取り払う」こと。つまり自分の生活にメリハリをつけること。そうすることでまたサッカーに気持ちを入れられる。

 

 とくに「自宅で(一人で)悩まない」、言ってみれば「孤独に陥らない」ことは心身両面にわたって重要なことだと思う。それを回避する方法、三浦知良さんは、外に出て人と会い、話しをすることらしい。
 

 よく理解できる。一人になって自分を振り返ったり、一人で自分の好きなことをする時間もまた必要だが、一人になるととかくネガティブ思考に陥りやすいことも確か。人と会い話して、目先を変える、思考を変える、見える景色を変えることは、自分を瑞々しく保つ上で重要なことのひとつだと思っている。

 

 三浦知良「サッカー人として」
『アスリートの敵、疲労を手なずけたい』

2023年9月1日  日本経済新聞/三浦知良オフィシャルサイト

 

 アスリートにとって最大の敵は疲労ともいわれる。米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手が右肘の靱帯を痛めたことも、蓄積した疲労が災いしたと聞く。みんなが心配している。

 調子がよければ、どんどんやりたい。休みたくない。それが選手というもので、10本のはずのダッシュも体が動けばついつい10本以上やってしまう。多少リミットを超えても大丈夫、と自信が湧く瞬間なら誰しもある。そこで負傷につながるシグナルが出ていても、なかなか気付きにくい。

 50歳を過ぎてだろうか、僕が周りの忠告に耳を傾けだしたのは。若手に「むちゃはするなよ」と助言もするようになった。そう言っておきながら、自分はいまだに休み返上で体を追い込んでみたりする。「練習し過ぎ」と言われてきた僕だけに、疲労を疲労と思わなくなるアスリートの心情は察するところがある。

 野球のためなら何でもする、野球と関わりのないことは興味がない、というくらいに大谷選手は野球をやることが好きだ。どんどん打ち、どんどん投げる。野球を休む方がストレスになるんじゃないかな。だとすれば、働き過ぎから彼を守るのは周りの役目かもしれない。

 


 僕がオリベイレンセに加入した当初は、56歳ということで周りから気を使われもした。過去形なんですが。

 「少しは練習、休んでいいぞ」と優しく扱われたのは最初のうち。僕が休まないものだから、じきに「ミウラに休みは必要ない」となり、56歳がプロで毎日練習することが自然とみなされていく。練習で「守備はそんなに頑張らなくていい」と言われていたはずが、今は「いけ、もっといけミウラ! 守備で止まるな!」と要求が高まるばかり。おいおい、何か忘れてないかい……。うれしいことなんだけどね。

 大谷選手でいえば、昔は「二刀流なんてそんな……できないよ」が米国内の常識だったはず。それが投げて10勝、打っても本塁打40本超えとなると、「彼なら二刀流も普通だな」と周りはとらえ始める。「異常」が自然にみえてくる。そうなると、尋常でない負担であっても「大谷選手なら乗り切れるだろう」とみてしまいがちなのかもしれない。

 疲労を手なずける秘策はないけれども、僕の場合は「自分がやりたいことをやる」を大事にしてきた。食べたいものを食べる。練習もたくさんやる。休みたいときは休み、遊びたいなら遊ぶ。自宅で悩まない。外に出て人に会い、たわいもない話やその時間を楽しむ。そこではサッカーを頭から取り払う。そうすることで、好きなサッカーにまた打ち込める。

 でも結局、いつもサッカーのことを考えてしまうけれども。

 (元日本代表、オリベイレンセ)

 

※大谷選手写真のキャプション

ケガが判明した後も、大谷翔平選手は打撃で活躍し続けている。アスリートにとって、蓄積しがちな疲労とどう向き合うかは大きな難問だ(フィラデルフィア)=共同