2023年8月6日
「松山千春 ON THE RADIO」

 

番組の最後で、2日後の8月8日が自身がファーストコンサートを開催した日であることから、デビューする時、そしてファーストコンサートを開催した時の恩師・竹田健二さんとのやりとりについて語った。その内容は以下青字強調箇所。

 

3週間後のこの放送は8月27日。この日は恩師・竹田健二さんが急逝された日、命日。この日も何か語るかもしれない。

 

(33:01~)

 


8月8日、47年前、私が、今はないですけど、北海道厚生年金会館、ここでファーストコンサートをやらせていただいた日であります。懐かしいね~。

昭和52年1月25日、「旅立ち」でデビューして、8月8日、北海道厚生年金会館コンサートをして。その時はまだディレクターだった竹田(健二)さん、ご存命で。

「竹田さん、これ1曲目、何から歌ったらいいですかねぇ?」そして竹田さんが、こういう順番で、歌ってみなさい…。今でもその(台本の)コピー、竹田さんのほんとに力強い字で書いてあるんですけどねぇ。

 




 

8月8日、ファーストコンサート、最初幕開けに歌ったのは、

 松山千春「君のために作った歌」

 


(52:34~)


さっき「君のために作った歌」…昭和52年8月8日、俺のファーストコンサートの1曲目、聴いてもらったんですけど。


(竹田健二さんと松山千春)


STVラジオの元ディレクターであった竹田健二さんが、会社に掛け合ってね、
「松山千春のレコードを作りたい」…
社長や専務や常務は
「お前、何考えてんのよ?地方のローカル局がそんな歌手なんか抱えられるわけないべや。まして、そんな男だか女だか分かんないようなやつ…」
それでも竹田さんが頑張って、俺をこの世界にデビューさせてくれて。1月25日、お互い「ああ、これでデビューできました!」
「千春、これからはプロだぞ」
「はい!」…

 

8月8日、初めてコンサート、やらせていただきました。(北海道)厚生年金会館、満杯になって嬉しかったです。

最後の歌を歌って、袖にいた竹田さんに
「竹田さん、俺、頑張って歌いました!」
「おお、よかったぞ、よかったぞ!」…
まさかその8月27日に、竹田さんが亡くなるとは思いませんでしたが。竹田さんが作ってくれた、いわゆる曲目表。1曲目が「君のために作った歌」でした。そして最後の曲は、アンコール最後ですね、
松山千春「おやすみ」