<2023.5.31再掲>
<2023.5.28記事>
三浦知良さんが日本経済新聞で連載し、三浦知良さんのオフィシャルサイトともリンクしているコラム「サッカー人として」。5月26日には『「99%無理」も恐れぬ15歳のように』と題して掲載されていた。
「プロは、とてつもなく先にかすむ世界だった。あの時の途方のなさを、挫折感というのかな」(以下記事)―「途方のなさ」=「挫折感」、そうだと思う。
自分の目指したいところへのハードルの高さ。「普通に考えればたどり着くのは無理だ」…ある意味直観的に一旦はそれを実感する。挫折と言える。
「負けてたまるか」「諦めてたまるか」―そこから発動されるのが自分の「意志」。何事も成し遂げるのは「意志」の力、別の言い方をすれば「祈り」の力だと、若い時からそう信じてきた。
フランスの哲学者アランがその著「幸福論」の中で言った、「悲観主義は感情に属し、楽観主義は意志に属す」(要旨)という言葉に通じる。ちなみに、同じくアランの「幸福論」に「幸福だから笑うわけではない。笑うから幸福なのだ」(要旨)とある。これも意志が現実を創ることを意味するのだろう。
この年齢になると、二十代前半の駆け出しの頃の挑戦のスピリットを思い出し、その大切さを実感する。
「生活が豊かになって余裕ができれば、心にもぜい肉がつきがちになる。だけど僕の心は相変わらず聞き分けがよくないみたいだ」(以下記事)―三浦知良さんもそうした原点を確認しながら、自らの強い意志を発動して、厳しい現実と戦っている。
三浦知良「サッカー人として」
「99%無理」も恐れぬ15歳のように
2023年5月26日
日本経済新聞/三浦知良オフィシャルサイト
「99%、無理だよ」
静岡学園を中退してブラジルでプロになると宣言した15歳の僕に、サッカー部の監督はそう言った。
いま振り返れば、至極まっとうな大人の意見だと思う。ただ、何しろ当時の僕はうまくいかないなんて考えもしないし、リスクという発想もない。1%あるんだろ、という無鉄砲な熱意しかなかったのだから。ブラジルに来てみて、監督の言葉は正しかったかも、という現実に気づく。
自分が属したのは16歳までで構成されるチーム。その上に17歳のジュベニール、そしてプロの1つ手前の18歳から20歳までのジュニオールのカテゴリーがあった。寮の6人部屋では5人がジュベニールの先輩。体つき、技術、スピード、何もかも自分とはレベルが違う。その人たちでさえプロになれるかは分からない。
その一段上、またその上にあるプロは、とてつもなく先にかすむ世界だった。あの時の途方のなさを、挫折感というのかな。
この春、ポルトガルにきた巡り合わせで、あのときに同部屋だった先輩らとも話す機会ができた。現役を続ける僕を「俺たちにとってお前は誇りだ」と言ってくれた。「1%」から始まったことを思い返せば、信じられないし、これほど光栄な励ましもない。
ある意味で、大人になるということはつまらないね。「しっかりした人間」という足かせを自分にはめ、なくてもいい常識やつまらないものにとらわれがちになって。物事を分かってきた今の僕は、15歳の三浦青年に「むちゃをするなよ」と忠告しかねないんだろうな。
20代のころは眠る時間さえ惜しかった。延長戦になったら女性との約束に間に合わないじゃないか、と頭によぎった試合もあったっけ。褒められたものでないけれど、何も恐れずに「俺はできる」と突っ走れた自分が懐かしくもある。許される範囲内で、あの常軌を逸したエネルギーを取り戻してみたいとも思う。
オリベイレンセでの挑戦も残り1試合。5試合でベンチ入りして2試合に出場したけれども、充実感は得られていない。ただ、結果がどう転ぶにせよ、そこへ立ち向かうエネルギーは残っている。
生活が豊かになって余裕ができれば、心にもぜい肉がつきがちになる。だけど僕の心は相変わらず聞き分けがよくないみたいだ。「99%無理」だとみなされようが、望むものに挑み、手にしてみたい。とらわれずに生きていきたい。あの15歳のころのようにね。
(元日本代表、オリベイレンセ)