5月26日の「この街のかたすみで♪」

 

さて、この街のかたすみで暮らす五十代中盤の私には、日中の温かさ(暑さ)に比べて、夕方から翌日の朝にかけての冷え込みが激しいこの寒暖差はやっかい。

 

もう冬物をしまってしまったので、家着は半袖・短パン。ともすると夜は半袖・短パンでいながら暖房をつけて、弾き語りをしている変な絵の中にいる。

 

 

 

さてさて、5月21日の日曜日15:30過ぎ、突然妻と長女が「焼肉、行きたいんだけど。いつもの●●」と言い出した。

 

その●●という焼肉店、いつ行っても30人前後は待っている超人気大行列店、本当に美味い店。その美味さとその量でその値段。

 

16時30分開店、16時から整理券を配り始める。

 

この店に行く時の一番の問題は、整理券を取りに行くのが私、ということ。数年前、「まぁ、本を読んでいればいいから俺が行って並んでるよ」と言ったのが最後、それ以来毎回並ぶのは私。なし崩し的に決まってしまった。

 

二人の一言ですぐに着替えて店に走り、16時10分頃店に到着。ラッキーなことに、いつもほどの行列ではなく、ワンロット目に入れた。すぐに家族に連絡し、3人は16時45分頃到着。

 

なんとか、幸せな家族時間、焼肉時間を過ごせた。

 

 

 

この前「がんの可能性があります」と連絡をくれ、すぐに彼の家に駆けつけた後輩。5月24日の午後から4時間半に及ぶ手術を受けて、患部だけを切除した。これから病理検査が行われる。

 

24日の夜、彼のお父さんが連絡をくださった。

 

「胃の全摘はしなくてすみました」

 

当初、開(ひら)いて見ての状態によっては、その場で胃を全摘する可能性も言われていたので、ちょっと安心した。

 

まだ45歳。これからが一番いい時。まだまだ。

 

ともあれ、悪性腫瘍、がんでないことを祈る。

 

平均で見れば、世の男性の3人に2人、女性は2人に1人ががんになる時代。親交のあるがん教育、がん治療で著名な医師は現代を「がん社会」と名付けた。

 

それは、いたずらにがんを怖れたり、忌み嫌ったり、遠ざけたりするのではなく、まずがんをよく知ることから始め、必要な予防や治療をしながらがんと共生し、人生を楽しむという意味から。がんをポジティブに捉え、がん社会を診ている。

 

夢も希望も胸の奥で燃えている
誰にも内緒でいたいけど
悲しみを迎えに行くのは止めたよ
今宵は月さえついて来る

(桑田佳祐「金目鯛の煮つけ」)

 

 

ふりかえるひまもなく時は流れて

帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく

すがりたいだれかを失うたびに

だれかを守りたい私になるの

(中島みゆき「誕生」)

 

5月19日に参加した松山千春東京国際フォーラム公演

 

そういう年代に入り、そういう心境がいつもあるのだろう。コロナ以降のツアーでは、時に涙しながら、毎回必ず亡き家族のことを語る。

 

今回もその家族の話しの流れでしみじみ語っていた。

 

「時は流れたな。時は流れた」

 

その気持ち、よく分かる。

 

 

私もその場にいた2001年5月12日にさいたまスーパーアリーナで開催された松山千春デビュー25周年記念公演。

 

その中で語っていた(要旨)。

 

 「我々は時間はどうすることもできないが、今思えば、(松山明一家は)物質的には経済的には確かに楽になった。しかし、貧乏であっても父さん、母さん、姉ちゃん、みんな揃って、たとえ寒くても肩寄せ合って暮らしていられたらな、と思う。しかしこればっかりは時間がそうはさせてくれない。 
 メンバーやスタッフにいつも言う。
 『どこでどんな死に方しても、もし俺が死んだら、すぐに北海道に足寄に帰してくれよ。どこでどんな死に方をしても俺は悔いはないから。ただ、すぐに北海道に帰してくれ。足寄には父さんがねてる。姉貴もねてる。俺は北海道で生まれた男だから、最後は北海道に帰りたい。どんな死に方をしても、すぐに俺を北海道に帰してくれ』
…そのかわり、毎日悔いのないように歌うから」

 

行けるところまで行く。死ぬまで歌う。死ぬ時まで歌う。

 

かりに

 

今となりゃこの俺も 随分と年を取り

行くあてない 心が 哀れでさ 哀れでさ

(松山千春「まだまだ」2013年)

 

という、どこか後ろ向きな心境になることがあったとしても、

 

かりに

 

手土産ひとつも持たず あやまるよ ザマねえ姿

若い時ゃ この俺も 何もかもグチになる

落ち着きない 心が 惨めでさ 惨めでさ

(同上)

 

という、過去に生きたくなり心揺れるような心境になったとしても、死ぬまで歌う。死ぬ時まで歌う。

 

いくつも大病を抱え無理がきかない。加えて、長年の自らの不摂生と悪習慣が追い打ちをかけ、体はボロボロ、ヨロヨロ。でも、死ぬまで歌う。死ぬ時まで歌う。

 

故郷の足寄と亡き家族はいつも自分の中に生きているけど、

 

来た道たどって 故郷 まだまださ
ヨロヨロ ヨロけて そのうち 辿り着く

(同上)

オイラが生まれた 故郷 まだまださ
なんだか 涙が 溢れて 故郷さ

(同上)

 

まだまだ故郷に帰る時じゃない。

 

俺が生まれた故郷と家族を思うと、この上ない懐かしさと愛おしさにいつも涙が溢れるけど、まだまだ、帰らない。

 

死ぬ時まで歌って、歌いきって、その後帰るさ。