さて、5月14日(日)は2023年の「母の日」

 

毎年のこと、長女と長男と私の3人で妻に感謝の品を贈り、妻と私から山形に住む妻の母に品を送った。

 

「母の日」だからと特段意識したわけではないが、今朝、母が亡くなってもう35年か…時の速さを思った。

 

思い出すよあの砂浜
歩いた日々の父と母の姿
聞こえてくるあのあばら家
暮らした日々の家族の笑い声

 

 

浜田省吾の「THEME OF FATHER'S SON-遥かなる我が家」の一節。

 

この曲はアルバム『FATHER’S SON』のラストに収録されている。アルバムが出たのが35年前、1988年の3月16日。

 

私の母が逝去したのがその13日後の1988年3月29日。享年四十五、私二十歳。

 

ちょうど今、浜田省吾の1988年に行われた「渚園ライブ」が各地の映画館で上映中で、35年前を高画質、超高音質で今に再現しているわけだが、この『FATHER’S SON』というアルバムとその時の私の年齢は、母の逝去からの歳月を思い出させてくれる。

 

 

長渕剛は2001年に「コオロギの唄」を発表した。そこではその前年、2000年に逝去された長渕剛のお母様を歌っている。

 

生まれてよかったと
僕は初めて思いました

そしてこの母(ひと)が僕を生んでくれたんだなって
なぜかあたりまえのことを考えていました

 


「コオロギの唄」の一節。

 

お母様が逝去される寸前の様子と、逝去された直後、葬儀の準備と当日の家族の様子を記す。

 

具体的なシーンが完全に一致するわけではないが、私の母が息をひきっとった1988年3月29日午前1時11分の病室と、その後、葬儀の準備に心を砕く父、母に最期の別れを告げた焼き場でのシーンをいつも思い出させてくれる。

 

葬儀の最中だったのか、お母さまが骨になって自宅に戻られた時なのか、長渕剛の前に一匹のコオロギがちょろちょろと出てきた。

 

長渕剛はコオロギに向かって言った。

 

お前も生まれてよかったね

 

この世に生まれてよかった。父と母のもとに生まれてよかった。あの家族の中に生まれてよかった。

 

そんなあたりまえと思えるような言葉の向こうに、大きく高く深い親への感謝の気持ちがあるんでしょう。

 

今自分がここで元気に生きている。どんな状況だったとしても、今いる場所でいきいき活躍している。我が子が幾つになろうが、我が子のそんな姿を見るのが親としては何より嬉しいこと。

 

それが本当の親孝行。

 

この街のかたすみにあるスーパーの一角、花を売っているコーナー。そこで高校生?らしき男子が花を見ていた。

 

きっとお母さんのために花を買っていくんだな…勝手にそう思ってなんか嬉しくなりながら、妻から買ってくるよう指令があった物が置いてあるコーナーに向かう五十五歳男子。