<2023.5.8記事>

 

👇 リンクしたアルフィーファンの方の記事を受け、その記事中にある「(天声人語)イントロが消えていく」記事全文を掲載した自分の記事を再掲した。+COVER写真も変更

 

 

 

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<2021.5.8記事>

 

昨日(2021年5月7日)の日経新聞連載コラム「あすへの話題」に掲載されたTHE ALFEEの高見沢俊彦さんのコラム(以下リンク)の中で、「大分前になるが、最近は曲のイントロが短くなったというコラムを読んだ」との記載があった。

 

 

THE ALFEEファンの方のブログにその元となった記事が一部紹介されていたので、以下に記事全文を掲載した。朝日新聞のコラム「天声人語」だが、短文ながら起承転結が明快でいいコラムである。

 

「ネット上の音楽は、数秒で気に入らなければ簡単に別の曲に変えられる。短めの前奏は、耳の争奪戦に勝つための工夫なのだろう」と天声人語は言う。

 

高見沢さんも、イントロが短くなっていることと、スマホ時代、簡易に、スピードが求められる時代の風潮とを関連付けている。そして歌詞やメロディを生かすうえで、THE ALFEEの楽曲のイントロは短くするつもりはないと断言する。

 

さだまさしも「ダウンロードはいわば使い捨て。フルになれば、要らないものから削られる。制作費を掛けずにやると業界全体がプアになっていく」と、現在の風潮に警鐘を鳴らしていた(2021年4月21日産経新聞インタビュー※)。

 

音楽に限ったことではないが、個人的に特に音楽には、聴く人をあっという間にその歌が流れていた当時にタイムスリップさせる不思議な力があると思う。そのタイムスリップは、時に思い出したくないことまで思い出させることもあるが、往々にして心豊かにしてくれるものである。その一端を、イントロも担っていると思う。

 

私の中でとくに印象に残ってるイントロは、松山千春の「長い夜」(1981年)と、小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」(1991年)である。テイストは違うが2曲ともインパクトのあるエレキギターから入る。今イントロを思い出しても、中学2年と、社会人2年目のあの頃の情景がまた鮮明に浮かんで来た。

 

2017年12月27日 朝日新聞
(天声人語)イントロが消えていく


 米国のバンド、イーグルスが1990年代に再結成し、来日した時の観客の言葉が、紙面にあった。「『ホテル・カリフォルニア』のイントロが始まったとたん、私は19の時に戻っていた」。そして当時訪れたロサンゼルスの風景が、目の前に浮かんできたと▼あの物悲しいギターの旋律がよみがえる方もおられよう。耳にしたとたん、昔に引き戻される。そんなイントロが誰にも一つや二つ、あるのではないか。しかし、これからは事情が違ってきそうだ。ポピュラー音楽の前奏が大幅に短くなっているという▼米オハイオ州立大の研究者が過去30年のヒット曲を分析したところ、イントロ部分の平均時間は、86年には20秒以上あったのに、2015年には5秒にまで縮まっていた。興味を早めに引こうとして、すぐに歌い始める傾向があるという▼レコードやCDを買い、1曲目から聴いていたのは今や昔。ネット上の音楽は、数秒で気に入らなければ簡単に別の曲に変えられる。短めの前奏は、耳の争奪戦に勝つための工夫なのだろう。イントロを飛ばして聞く人すらいるという▼イントロにあたるものは、おそらく暮らしのなかにもある。1日の始まりに、窓を開けて光と風を入れる。仕事の前に1杯のコーヒーを飲む。師走の慌ただしさのなかでも、前奏は大切にしたい▼久しぶりに聴いたホテル・カリフォルニアのイントロは50秒ほどだった。その時間を惜しむのは、文化的に進化しているのか、それとも退化しているのか。