1980年12月、ラジオから流れてきた松山千春「青春」(ライブ音源)

 

弾き語りに乗って聞こえた松山千春(当時24歳)の伸びやかな歌声。

 

衝撃だった。それまでも松山千春を聴いていたが、この弾き語りをきっかけにギターを覚えようと思った。中学1年の時だった。今こうして書いていてもぞくぞくしている。

 

以下はその時の音源(厳密に言えば、この時NHKホールで2日間ライブをやっているので、ラジオから流れたのは、以下の音源収録日ではない方の日のもの)。

 

 

この時松山千春が使っていたギターがオベーション・スーパーアダマス。当時の価格で100万円。

 

高校に入り、冬休みだったか?御茶ノ水の楽器店にオベーション・スーパーアダマスが置いてあると、当時の「Guts」か何かのギター誌で知り、一人で山梨から各駅停車で御茶ノ水まで行った。

 

⇒ (リンク)御茶ノ水楽器店MAP(ちよだ音楽連合会)

 

ショーケースの中に入って売られていたオベーション・スーパーアダマス、嬉しくて嬉しくてずっと見ていた。価格は95万円と表示されていたのを今でも覚えている。

 

この時、リーフ模様の中にいくつものサウンドホール(音を出す穴)があることを初めて知った。それまで写真で見る限りではサウンドホールはないと思っていた。

 

どの楽器店だったかは記憶が定かではないが、JR御茶ノ水駅を背に明治大学に向かって左側の店、今でもあるクロサワ楽器かイシバシ楽器のどちらかかな?

 

それこそ40年来の夢をかなえて、2019年にオベーション・スーパーアダマス(初期オベーション社製)を手にした。

 

 

去年(2022年)9月末、念願の足寄を訪問し、松山千春があの時使っていたオベーション・スーパーアダマスを見た。それこそ42年来の願いを果たすことができた。

 

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(道の駅 あしょろ銀河ホール21内
「松山千春コーナー」)

 

 

東京探Q]御茶ノ水なぜ「楽器の街」に?
学生たちの熱気と共鳴
 

2023年4月3日 読売新聞



 

◆各店に特色 ブランド確立 
 JR御茶ノ水駅(千代田区)で下車し、
駅前大通りに出ると、ずらりと楽器店がひしめく。多くはエレキ、アコースティックのギターを取り扱うが、管楽器やバイオリンを専門的に取り扱う店も。この一帯の楽器店は40以上に上るが、これだけ集中するのは世界的にも珍しい。なぜ、こうなったのか。歴史を探ってみた。(石川貴章)
 祝日の3月21日夕。駅前は、学生や外国人ら多くの楽器好きでにぎわっていた。店を回りながら、楽器を見定めていたのは、千葉県我孫子市から訪れた小池千晴さん(13)と妹の南実さん(11)。
 バンドを通じて成長していく女子高校生を描いたアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」に影響を受け、姉妹でギターとベースを手に入れようと、父・厚さん(50)らと訪ねてきたという。
 それぞれがお気に入りの1本を買ってもらうと、うれしそうな表情で「うまく弾けるように頑張りたい」と声をそろえた。厚さんは「『御茶ノ水なら間違いないだろう』と思って来た。他の地域に比べ、店員の知識が豊富だと感じた」と納得の様子だった。
 アニメにも御茶ノ水が登場するといい、今では「聖地巡礼」として訪れる人も多いという。
     ◇
 多くの人が集う楽器の街。昔はどんな場所だったのか。
 「江戸時代は旗本屋敷が立ち並んでいました」。教えてくれたのは、千代田区文化振興課の学芸員・高木知己さん(59)=写真=だ。
 江戸幕府を開いた徳川家康は息子・秀忠に2代将軍を譲った後、駿河国(現在の静岡県の一部)を拠点とし、将軍家直参の家臣「旗本」も一緒に移り住んだ。家康の死後、江戸に戻った旗本たちは、江戸城に近く富士山を望むことができる現在のJR御茶ノ水駅周辺に屋敷を構えたという。
 明治時代になると、旗本たちは、それぞれの道を選んで住まいを移し、一帯は空き家が増えていった。
 そして、新たな街づくりの中心となったのは大学だった。1886年に現在の明治大学が、1921年に現在の日本大学歯学部が進出するなどし、04年には後のJR御茶ノ水駅となる鉄道駅も開業した。
 高木さんは「現在の御茶ノ水のにぎわいは、学生街になったことがターニングポイントになっているんです」と打ち明ける。
     ◇
 戦前から続く老舗・谷口楽器の岩田浩社長(52)=写真=に話を聞いた。
 アコーディオンなどを取り扱う同店は、35年に浅草地区で創業。しかし、創業者が「学生の集まる御茶ノ水に出店したい」と考え、41年に明大前に移転。
 戦後、進駐軍から大量の楽器が払い下げられたことで品ぞろえが増したことや、50年代に入ると平和の願いを訴える「うたごえ運動」が盛んになり、楽器がよく売れた。別の老舗店によると、この頃の好景気に乗じて、雑貨店が楽器店にくら替えすることもあった。
 60年代のエレキブーム、その後のフォークブームの影響で、70年代にも徐々に店数が増え、正月にはお年玉を握りしめた学生が楽器を買いに来るのが風物詩に。
 90年代に入ると、ビジュアル系バンドの一大ブームで楽器店が一気に増加。「御茶ノ水」ブランドが確立し、出店が相次ぐようになったという。
 店が増えれば普通は価格競争が起きるが、各店舗は独自路線を進むことで、生き残りを図ってきた。ウクレレなどの専門店や、ギターでもビンテージに特化するなどの特色を出す店もある。
 岩田さんは「御茶ノ水に行けば、店舗をはしごして、一度で色々な楽器を見ることができる。それが、国内外から評価される魅力なんです」と声を弾ませた。

 ◆音楽の街 60年代から土壌 
 ◇明大出身 宇崎竜童さん 
 明治大学出身で音楽家の宇崎竜童さん(77)は学生時代に軽音楽クラブに所属し、御茶ノ水駅前で買ったトランペットでジャズに熱中した。「(学生だった)60年代は、楽器店は少なかったけど、ジャズ喫茶やクラシック専門の喫茶店があって、すでに音楽の街の雰囲気があった」と振り返る。
 当時は曲のメロディーを覚えようにも、録音機材も持っておらず、ジャズ喫茶に通っては何度も曲をリクエストし、必死に楽譜に写していったという。
 プロになってからは足が遠のいていたが、2000年代に入ってから軽音楽クラブのOB会長になったことをきっかけに、明大のホールでジャズのイベントを毎年開催している。
 地元の楽器店などからなる連合会の結成に関わるなど音楽を通した地域振興に尽力しており、「ギターやトランペットの音色が至る所から聞こえるニューオーリンズのような街にしたいね」と満面の笑みをみせた。

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