三浦知良さんが日本経済新聞で連載し、三浦知良さんのオフィシャルサイトともリンクしているコラム「サッカー人として」。3月17日には『旅立ち・別れの向こう側』と題して掲載されていた。

 

 

”苦境は、壁を乗り越えるための助走となるプロセスだった”

”コツはコツコツ歩むこと”

”分かれ目を越えさせる力は物事の一連のつながりがもたらすもの。だからこそ、目の前の今を大切にする”

 

今回もカズ・ソウル、カズ・スピリットと言えるいい言葉が流れて来る。

 

過去を振り返った時、思い出したくない苦い経験はあるもので、それが原因で自分が想定していたものと違う現在になっている場合がある。一見すると、道を踏み外したように思う。

 

それでもその苦い経験を、「あのことにも意味があった」「あの経験があったからこそ、今の自分があることも確かだ」と血肉に出来ていれば、また新しい一歩を踏み出せるものであり、今その場所に生きることに感謝でき、今を全力で生きることができる。

 

道を外したようで、実は決して外しているわけではく、むしろ本来の道に入っていると言える。

 

振り返ればどんな経験でもすべて「結果オーライ」、そういう面も確かにあろう。でも後になって心からそう思えるのは、その苦い経験、苦境、逆境の只中にあっても、焦ったり腐ったり、人のせいにしたりぜずに自分自身を見つめ抜いて、未開だった自分自身の内面の領域に気づいた経験があってこそだと、思っている。

 

 連載「サッカー人として」
旅立ち・別れの向こう側(三浦知良)

2023年3月17日 日本経済新聞/三浦知良オフィシャルサイト

 

 「日本では卒業や異動といった、旅立ちや別れの季節みたいだね。プロのサッカー界、特に海外だと「別れ」はあっさりしているよ。


 退団選手のあいさつや解団式はあまりない。オリベイレンセのブラジル人選手らは今シーズンが終わる5月28日の数日後には帰国すべく、母国行きのフライトを押さえている。契約が続けば帰ってくる。続かなければ、そのままお別れ。おのおのが心の中でシャッターを切って、次の挑戦の場所へと旅立っていく。

 一人前になって卒業していく人もいれば、一人前になるために出て行く人もいるだろう。僕の場合、一人前になれたと思えたのは1988年、ブラジルで戦っていた21歳の年だった。その年、キンゼ・デ・ジャウーへ移籍し、トップレベルのサンパウロ州1部リーグで30試合、年間で初めて40試合以上に出場した。ブラジル代表となるライーらと並んでベストイレブンにも選ばれ、山をひとつ越えた達成感があった。

 あれはプロ3年目。その年初、日本へ一時帰国する際の車中でマネジャーに覚悟を打ち明けたのを今でも覚えている。「今年成果を残せなかったら、プロとして食っていくのは厳しい」
人生の分かれ目だったと後々思い返すときが、誰にでも訪れるのだろう。

 勝負の年だった88年の前と後で僕が何か生き方を変えたわけでもない。あの年に至る手前を振り返れば、サントスでプロ契約したもののうまくいかず、酷評され、紅白戦も出られない時期があった。そこから3部、4部に相当する地方のクラブへ転身し、歩み直している。


 サントスにとどまることより、試合に出てやり直す道を選んだ。先々のクラブで「残ってほしい」と請われるほどになり、自信を取り戻し、勝負できるという手応えをつかんだ。乗り越えるための助走となるプロセスだったのだと思う。

 道はつながると信じ、コツコツ歩むぐらいしか思い当たるコツはない。その過程で僕らは気付かぬうちに色々と学んでいく。分かれ目を越えさせる力があるとしたら、そうした一連のつながりがもたらすもので、だからこそ目の前の今を大切にしたい。


 山口百恵さんの「さよならの向う側」を聞きながら、思いをはせてみます。


(元日本代表、オリベイレンセ)