<2024.05.30>再掲

<2023.03.16>起稿

 

 

初恋はロック♪さん記事リブログ>

 

名曲百選第六章(68)この曲が醸し出す時代の映像は、決して色褪せる事はない…
「いちご白書」をもう一度/松任谷由実

 

「『いちご白書』をもう一度」関連記事、以下に再掲

 

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<2022.2.22記事>

 

 

2022年2月20日放送の「松山千春 ON THE RADIO」

 

同日がばんばひろふみさんの誕生日であることから「いちご白書をもう一度」をかけた。その前に以下のとおり語っていた(強調箇所)。

 

歌詞の下にはこの曲について詳しく解説していた『「いちご白書をもう一度」ユーミンの脚色に涙』(日刊スポーツ)を再掲した。

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(13:45秒~)

2月20日が誕生日…ばんばひろふみ、ねぇ、彼が誕生日ということで、あれは1975年(昭和50年)だから、俺が20歳になる年、19歳の時だな。ユーミンが作った曲なんですけどね、大好きだったなぁ。
 

バンバン「『いちご白書』をもう一度」

 

いちご白書をもう一度(昭和50年)バンバン

 

「いちご白書をもう一度」

作詞作曲:荒井由実

 

いつか君と行った映画がまた来る

授業を抜け出して二人で出かけた

哀しい場面では涙ぐんでた

素直な横顔が今も恋しい

 

雨に破れかけた街角のポスターに

過ぎ去った昔が鮮やかによみがえる

君もみるだろうか「いちご白書」を

二人だけのメモリィー どこかでもう一度

 

僕は無精ヒゲと髪をのばして

学生集会へも時々出かけた

 

就職が決って髪を切ってきた時

もう若くないさと 君に言い訳したね

君もみるだろうか「いちご白書」を

二人だけのメモリィー どこかでもう一度

二人だけのメモリィー どこかでもう一度

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<2020.12.9記事>

 

日刊スポーツ連載「歌っていいな」

 

(2020年)12月6日配信は「『いちご白書』をもう一度」(以下全文引用)

 

リアルタイム(1975年)では聴いていないが、中学3年(1982年)の学園祭の後夜祭でなぜか皆で歌った。歌詞に歌われている大学紛争などはまったく知らなかったが、いい歌だと思ったことは覚えていて、当時ギターでよくコピーした。

 

以下の日刊スポーツ記事にあるとおり、この歌を荒井由実さんは20歳の時に作ったというから、その才能には驚きである。

 

映像を探しながら聴いているうちに、また感動してきた。

 

昔、松山千春が持っていた自身のテレビ番組の中でこの曲を弾き語りで、艶のある伸びやかな声で歌っているので、それも挿入した。歌う前に「衝撃的だったのはユーミン。すごい才能だと思う」と松任谷由実さんを称えている。

 

松山千春(Cover) 「いちご白書をもう一度」

松任谷由実「いちご白書をもう一度」

 

 

「『いちご白書』をもう一度」ユーミンの脚色に涙
2020年12月6日(日) 13:00配信 日刊スポーツ

 

 

名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」第20回は、1975年(昭50)に発表されたバンバンの名曲「『いちご白書』をもう一度」です。歌詞のモデルになった男性の生きざまを、ユーミンこと松任谷由実(当時荒井由実)がドラマチックに仕上げた名曲。ユーミンの才能を信じた、ばんばひろふみらが起死回生の一発逆転を狙って誕生した曲でした。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「『いちご白書』をもう一度」には、1人の男のノスタルジーが悲しく描かれている。松任谷由実(当時は荒井由実)が、初めてほかの歌手に書き下ろした歌詞は、実在する人物の物語だった。歌われている男性は前田仁さん。バンバンを当時担当していたCBSソニーのディレクターだった。「『いちご白書』をもう一度」は「冷たい雨」「霧雨の朝突然に…」とセットで、前田仁3部作とも呼ばれている。

ばんばひろふみ(46)は立命館大時代、関西ではアリスと人気を二分する「ジャッケルズ」というバンドを組み、プロの道に進んだものの、ヒットには恵まれなかった。その後フォークバンド「バンバン」を結成した。「レコードを4枚出したけど、食えなかった。東京で勝負してだめだったら未練も断ち切れる、と仁に相談して。最後の一発にかけてみた」と振り返る。

「男の歌をちょっと書いてみないか」。前田さんは「ルージュの伝言」がヒットしていた当時20歳だったユーミンに声を掛けた。ばんばは「すごい才能を持った女の子が出てきたと驚いた記憶がある。『荒井がいいんじゃない』と仁と相談した」と回想する。前田さんも「マンタ(=松任谷正隆さん)のそばをうろうろする女の子がいてね。初めて会ったのは、ユーミンが高校生だった時かな。『ルージュの伝言』が曲というより、クリエーターとしての豊かな才能をアピールしていた」と振り返る。

そして、前田さんは自分の学生時代の思い出をユーミンに話した。キャンパスが大学側の授業料値上げで荒れていた時代だ。前田さんは言う。「僕は地方から出てきた貧乏学生。授業料値上げというのは死活問題だったんです。セクトとか思想じゃない。自分の生活についての戦いだった。だから、今でも正しく、非難されることではないと思っている」。

しかし、無力のまま逮捕された。留置されたのは東京・渋谷警察署。好きだった女の子が身柄を引き取りに来てくれた。しかし親にばれてしまい、内定をもらっていた大手商社からも断られてしまった。当時、学生の間ではあまり評判のよくなかった民間調査機関の調査で「活動歴」が報告されてしまったのだ。

そんな話を聞いたユーミンは「仁さん、私、書けるかもしれない」と言った。次に会うと「『いちご白書』っていう映画を見たことある。ロマンチックなんだよね」。ただ、その答えに前田さんは「何かサークル活動で切迫感がない」との思いがあったが、ユーミンには「いい映画なのかもしれないね」と答えた。曲が完成した後、ユーミンは「ちょっと“うそ”を書いちゃった」と舌を出した。

「就職が決まって髪を切るはずないじゃない。それじゃあ、長い髪のまま就職活動することになるよね」と前田さんは笑う。それでも、自分のことが歌われていることに違いなかった。ある日、東京・高田馬場のライブハウスで聴いた時、思わず涙が出た。

前田さんは自社ソニー所属のバンバンよりも、当時は東芝に所属していたユーミンの宣伝に力を入れた。「ユーミンを売ることが、この曲のセールスになる」と考えた。さらに映画「いちご白書」を少しでも多くの学園祭で上映しようと駆け回ったりもした。曲もヒットしたが、前田さんは、ユーミンを世に出すため走り回ったあの時代は、かけがえのない財産になっていると感じている。【特別取材班】

※この記事は96年12月6日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。

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