2023年3月5日
「松山千春 ON THE RADIO」(3)
番組の最終盤、自身が高校を卒業した直後のことを語っていた。こういう話しをする時の松山千春はほんとにいい。
やっぱり小中学時代、高校時代…この当時のことが松山千春にとって、環境的にも心の中でも、変わらぬ人生の原風景なのだろう。
(50:25~)

(高校時代の松山千春
/写真集「激流」より)
正直に言うと、(自分自身が当時高校)卒業を迎えるにあたって、松山千春少年はこの先いったい何ができるんだろう?まっ、歌は好きで、いつもギターを弾きながら。しかしプロになる云々…。それよりもまず父さんの仕事のために運転免許証を取ろう。(北見で運転免許を取って)足寄に戻って父さんのために集金だとか、あっちこっち取材に行くだとか。
そんな時に二十歳の時か?フォーク音楽祭に出て。帯広大会通って、札幌大会通って、北海道大会で落ちるはめになるんだけど。STVラジオのディレクターだった竹田健二さんから声をかけられて“今度一緒にラジオの番組、やろう”。そんなうまい話しないよなぁと思いながらね。そしたらほんとに電話かかって来たもんなぁ。「サンデー・ジャンボスペシャル」という番組の中のコーナーに、毎週2曲、“千春君のために15分取るから、新しい曲を毎週2曲歌ってくれ”…足寄と札幌の行き帰りだよな。終わったら終わったで、すぐに足寄に帰って、“今度はどんな2曲できるかなぁ?”みたいなな。
正直言って卒業した時にはもうフラフラで、不安だらけでした。将来自分が何になるのかもまったく決まっていませんでした。もちろん、進学するような、そんな選択はありませんでした。

(父・松山明さん:左と松山千春:右
/写真集「激流」より)
けど、とりあえず親父の仕事をちゃんと全うさせてあげたい。どんな貧乏であってもやっぱり正義は正義だ、と一生懸命新聞で訴えている親父のためには、俺が免許取って一緒になって頑張ってやる、ほんとにそれだけを考えていたような気がします。
みなさんにもそれぞれ卒業に関する思い出はたくさんあると思いますけど、今でも帰りたいぐらい高校時代が大好きでした。今日も最後まで聴いていただいてありがとうございます。曲は
松山千春「卒業」(2001Ver.)
松山千春―「父さん」(1982年真駒内LIVE)
松山千春―「勇気ありがとう」(1987年札幌芸術の森LIVE)