【小椋佳 ファイナル・コンサート・ツアー「余生、もういいかい」無事完走しました!】
2021年11月よりスタートした本ツアーはコロナ禍にも関わらず全国39箇所全42公演が開催され、先日1月18日(水)東京・渋谷NHKホールにて行った『特別追加公演 最後にもう1回』をもって無事終えることが出来ました。
これも長年応援いただいたファン、関係者の皆様のお陰と感謝の念に堪えません。
本当に有難うございました。
今後大ホールでのコンサート活動は控えることになりますが、まだまだ全国各地より公演のご要請をいただいており、中小規模の会場でのステージ活動は継続する予定です。
またどこかで皆様にお会いできる日を楽しみにしております。
今後とも小椋佳ならびに『小椋佳倶楽部』を宜しくお願い申し上げます。
株式会社ゴッド・フィールド・エンタープライズ 代表 神田知秀
(小椋佳公式WEBサイト)
鑑賞眼
「シクラメンのかほり」小椋佳が最後のコンサート
「十分、生きた」
2023/1/27 12:00 産経新聞
「シクラメンのかほり」など多数のヒット曲があるシンガー・ソングライター、小椋佳(おぐら・けい=79)が1月18日、東京都渋谷区のNHKホールで最後のコンサートを開いた。
東大を出て銀行員だった小椋は、昭和46年にアルバム「青春~砂漠の少年~」でデビュー。50年に歌手、布施明(75)に提供した「シクラメンのかほり」の大ヒットで一躍注目された。銀行員とシンガー・ソングライターと2足のわらじが話題になった。
その後も俳優で歌手の中村雅俊(71)の「俺たちの旅」、歌手、美空ひばりの「愛燦燦(あいさんさん)」、俳優で歌手の梅沢富美男(72)の「夢芝居」、あるいはシンガー・ソングライター、堀内孝雄(73)と共作した「愛しき日々」や「山河」などのヒット曲を手掛けてきた。
だが、「もう、音楽を作るのがしんどい」と令和3年に出した「もういいかい」を最後のアルバムとし、この日を最後にコンサート活動から引退することを決めた。
〝最後のコンサート〟は、ラストアルバムの冒頭曲「開幕の歌」を〝序曲〟としてスタート。最初のアルバムの1曲目だった「しおさいの詩」から、ラストアルバムの掉尾(とうび)を飾る「SO-LONG GOOD-BYE」まで計21曲を披露した。
小椋は、13人の弦楽団を含む豪華な伴奏陣を従え、ステージ中央にしつらえたスツールに腰掛けながら歌った。かつての透き通った声が、か細く、時折音程も揺らぐようになっている。
ただ、「愛燦燦」や歌手の五木ひろし(74)に書いた「山河」では力強い歌声を聴かせた。とりわけ、「山河」では両手を振り上げるなど熱唱した。人生を振り返る歌にこそ、より思いを込められるということなのだろうか。
平成26年には同じNHKホールで4日間の「生前葬」コンサートを開催した。令和3年の産経新聞のインタビューでは、「生前葬コンサートの後、すぐに死んでいれば、それで完結だったが、生き延びてしまった」などと語っていた。
だが、かつて繊細な言葉を紡いで青春の光と影を描き、歌にしてきたシンガー・ソングライターが老境に至り、どのような歌世界を展開するのか。それこそ、小椋が見つけた最後の、そして独自の表現領域なのかもしれない。
小椋は、コンサートの舞台でも「老い」について多くを語った。その言葉やゲスト歌手らとの軽妙な会話を拾ってみよう。
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まず、「開幕の歌」を歌い終えて「僕もいい年になりました」と切り出した。ちょうど、この日が79歳の誕生日だった。「老人であります。足にも力がなくなった」。昨年末、自宅の居間で転倒し、椅子の角に肋骨(ろっこつ)をぶつけたと明かした。
痛みが取れないが、病院は嫌い。我慢して過ごしたが、治る気配がなかった。コンサートを中止にすることも考えたが、幸い開催2日前に痛みがなくなったという。
客席も高齢者で占められており、「雨が降らなくても足元が悪い中、ようこそおいでくださいました」と笑わせた。
「もう、生きていることがしんどい。動作が遅くなった。風呂に入ろうと思ってから、実際に入るまで2時間もかかる。今日、途中で倒れてもご勘弁を。ただ、『生きるからには一生懸命生きよう』が信条なので、一生懸命歌います」
この日は、昨年正月から全国で41公演を行ってきたコンサートツアー「余生、もういいかい」の最終日。NHKホールは、小椋が47年前の昭和51年に初コンサート開いた思い出の場所だ。「ここが僕のホームグラウンド」と最後の場所に選んだ。
「もう、明日、コロッと死ねたら本望です」
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「出会いが、人生の道筋を決める。思いもしない方へとひっぱっていく」と、来し方を振り返った。
売れそうもない。レコード会社が、デビューを見送ろうとしたこともあったという。だが、アルバムが売れた。「数作合計で100万枚を超えた。世相に恵まれたのだろう」と語った。
やがて大手芸能プロから、所属歌手に2曲作ってほしいとの依頼が来た。1曲は書き下ろした。だが、もう1曲は「〝不良在庫〟を渡した」と笑った。どうせシングル盤のB面じゃないか、と手を抜いた。
銀行員として米ニューヨーク出張中に国際電話で「売れてるぞ!」と連絡がきた。しかも、「不良在庫」のほうが大人気になっていた。それが、布施が歌った「シクラメンのかほり」だった。
「この歌で、初めて小椋佳の名前を覚えてくれた方がいるのでは? 今日は自分で歌います」。布施とは一部、異なる独自の節回しでサラリと歌ってみせた。
堀内孝雄、梅沢富雄(前列左から)、林部智史、中村雅俊(同右から)と「さらば青春」を合唱したシンガー・ソングライター、小椋佳(同中央)=東京都渋谷区(提供/塩澤秀樹撮影)
堀内孝雄、梅沢富雄(前列左から)、林部智史、中村雅俊(同右から)と「さらば青春」を合唱したシンガー・ソングライター、小椋佳(同中央)=東京都渋谷区(提供/塩澤秀樹撮影)
この夜は、4人のゲスト歌手も出演した。林部智史(はやしべ・さとし=34)は、小椋が「30年前の小椋佳です」と紹介するほど、その美しい声質にほれ込んだ若手歌手だ。
小椋は、半年がかりで、林部のアルバム「まあだだよ」(令和3年)への提供曲を書いた。
「ああいうマスクなら、僕ももっと人前に出ていたな」と林部の若さへの憧憬を口にしてから、デビュー直後、レコード会社から求められたライブやテレビ出演を頑として断っていたエピソードを披露した。
同じレコード会社に、もう一人、人前に出ることを嫌ったシンガー・ソングライターがいた。「2人で1回だけライブをしよう」と一緒に東京・新宿のライブハウスに出たのが井上陽水(74)だった。
「2人で2時間のライブが終わって、改めて井上君の顔を見たら彼も男前じゃなくてほっとした」
2人で酒を飲み、意気投合した。小椋が詞を書き、井上が作曲した「白い1日」を披露した。
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俳優の中村がタキシード姿で登場すると、客席から大きな拍手が起こった。
小椋は、かつて中村の主演ドラマ「俺たちの旅」(昭和50年)の主題歌を書いた。
「今も青春って言葉が似合うよね。でも、こないだ、ドラマで、おじいさんの役をやっていなかった?」と尋ねる小椋に、中村は「俺もあと2週間で誕生日で、72歳になりますよ」と答えた。小椋は、「お互い、死に近いね」と返して中村を絶句させた。
主題歌を書くにあたり初めて中村に会ったときのことを振り返って「ぼさぼさの髪で、ジーンズにげたばきでしょ。この人が主役であるはずがない、役者のはずはないと思った」と笑った。
中村は「俺に、いい印象、なかったんですよね? あれは自慢のファッションだったのに」と苦笑いし、「俺たちの旅」を熱唱した。
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「愛しき日々」などを共作したシンガー・ソングライターの堀内の出番では、小椋が段取りを間違え、呼び込むのを忘れて堀内を慌てさせる一幕もあった。
「ベーヤン(堀内の愛称)は、声に味があってうらやましいよ」。小椋は堀内の歌声を絶賛したが、「でも、わけのわからない内容の歌も多いよね」とすぐに毒舌に転じた。
堀内が在籍する3人組、アリスの名曲「遠くで汽笛を聞きながら」(作詞・谷村新司、作曲・堀内)を俎上に載せ、「よく聴いたら、『何もいいことがなかった街で暮らしていこう』って歌詞の内容は変じゃない? あれを、いい歌だと思っていた僕って、なんなんだ」とチクリ。
「はい。ふつうは引っ越しますね」。中村に続いて苦笑した堀内は、「愛しき日々」を歌い上げた。
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「ここまで長続きできたのは、時折ヒット曲が出たから。とんでもないビッグヒットもあって、びっくりしました。関わった人たちの生活まで変わってしまった。ヒットって、恐ろしくもある」
ここで紹介されたのが、俳優の梅沢だ。小椋が作詞作曲して梅沢が歌った「夢芝居」は大ヒットした。今もテレビCMで使われるなど、時代を超えて親しまれている。
この歌で梅沢はNHK紅白歌合戦にも出場し、大衆演劇の役者だった人生は、そこから大きく変わった。
小椋は「最近のテレビでの活躍ぶりもすごいけど、あなたには昔から、出てくるだけでその場の雰囲気を変える天賦の才がある」と梅沢を絶賛した。
だが、梅沢は「当時、僕が資料用に吹き込んだ歌のテープを聴いて、『こんな人に歌は書きたくない』って思ったそうじゃないですか」と小椋を問い詰めた。
これに小椋は、「友人から、『あんな人に作らなくていい』といわれ、放置していた」と告白した。
だが、雨でゴルフが中止になったある日、頼まれていた童謡を書き上げ、これが会心の出来だった。そのとき梅沢の件も思い出したが、「めんどくさい…」。だから、長調だったその童謡の旋律を短調に変えただけで、「これでいいや…」。こうしてできたのが「夢芝居」だったと明かし、梅沢のことも絶句させた。梅沢は、もちろん、「夢芝居」をじっくりと聴かせた。
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「十分生きてきたな。コンサートもファイナル。レコードも何十枚も作って、もう十分であります」。これが最後だと、小椋は何度も語った。
ラストアルバムと今回のツアーのタイトル「もういいかい」だ。これは、尊敬する映画監督、黒澤明の遺作「まあだだよ」(平成5年)にちなんだという。
「微に入り細に入り、妥協をせず、執念を込めて映画を作った黒澤監督の姿勢は、僕の歌作りにも必要だと思った」と語った。最後まで意欲的に音楽作りに取り組んだのだ。
「ツアーで全国を回り、〝縁もゆかりもない〟大勢の方にお集まりいただいた。ありがたい音楽人生だった」
人生はまさに夢芝居。十分に語り、十分に歌い、小椋はコンサートの舞台から去った。
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小椋佳ファイナル・コンサート・ツアー「余生、もういいかい 最後にもう1回 特別追加公演」。18日、東京・NHKホールで。2時間43分。
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「白い一日」(作詞:小椋佳/作曲:井上陽水)
「時」