日本では男性の3人に2人、女性でも2人に1人が、がんを経験する。

 

また日本では高齢化のスピードが類を見ないほど速い。総人口に占める65歳以上の高齢者の割合(高齢化率)は世界最高の約3割(29%)という現状。

この高齢化率が7%を超えると「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」と定義づけられることを考えると、日本の29%は「超高齢社会」と言っていい(主旨:以下記事から)。

 

東京大学特任教授の中川恵一医師が長年日本経済新聞(夕刊)で連載している「がん社会を診る」

 

年が明け、1月4日、11日、18日の3回の記事は、中川医師がこれまでこの連載で、また各地の講演会などで主張してきたことを改めてまとめるようなかたちで掲載されている。

データを駆使し大変分かり易いタッチで、がんと高齢社会との関係を伝え、働くがん患者が日本社会にますます増えていくであろう「がん社会」の本格的な到来を見据えている。以下に3本の記事を全文引用した。

 

中川恵一医師

(東京大学医学部附属病院放射線科HP)

 

 

「がん社会」は成熟国家の必然
中川恵一(がん社会を診る)
 

2023年1月4日 日本経済新聞 夕刊 

 

 明けましておめでとうございます。新年にあたり、「がん社会」についてもう一度考えてみたいと思います。
 この言葉は私の造語ですが、がん患者、とくに働くがん患者であふれる社会を意味します。現実に、日本人男性の3人に2人、女性でも2人に1人が、がんを経験します。
 細胞増殖に関わる遺伝子に20~30年かけて変異が蓄積することでがん細胞は発生しますが、免疫細胞が水際でがん細胞を殺してくれています。しかし、この「免疫監視機構」も年齢とともに力を失い、監視網から逃れるがん細胞が現れます。そして、20年といった長い年月をかけて、検査で診断できる1センチ程度に成長します。
 長生きしなければ、がんになることが難しいとも言えますから、平均寿命が50歳前後だった終戦直後、がんの患者はごくわずかだったはずです。しかし、現在、男女の平均寿命はそれぞれ、82歳、88歳と世界トップクラスです。
 とくに、日本の場合、高齢化のスピードが類を見ないほど速かったのが特徴です。総人口に占める65歳以上の高齢者の割合(高齢化率)も世界最高の約3割になっています。この高齢化率が7%を超えると「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」と呼ばれますが、日本は「超高齢社会」です。
 高齢化率が高齢化社会の7%から高齢社会の14%になるまでの年数が、高齢化のスピードの目安になります。
 日本の場合、高齢化社会から高齢社会に至るまでの期間は1970年から94年までの24年間でした。しかし、フランスでは126年、スウェーデンでは85年間もかかっています。日本の24年がいかに短期間か分かると思います。
 しかし、あまりに高齢化が速かった結果、がん患者の増加も史上例を見ないスピードとなりました。この急ピッチのがんの増加に、個人の知識や心がまえ、さらには行政、教育などが追いついていないのが、今の日本の姿だと言えるでしょう。
 そして、日本の場合、欧米には存在しない特殊事情があります。移民などを積極的には受け入れず国家を維持してきたことです。
 社会が成熟すれば、洋の東西を問わず、少子化と人口減は避けられず、経済成長も社会保障制度の維持も困難となります。
 欧米では、若い移民が国を支える労働力として機能しています。一方、わが国では、高齢者たちも国を支える必要があり、高齢層の就労率が世界トップレベルになっています。
 日本のような国家では「がん社会」は必然。次回もこの社会のあり方を考えます。(東京大学特任教授)

 

 

「がんの壁」を越えよう
中川恵一(がん社会を診る)
 

2023年1月11日 日本経済新聞 夕刊 


 

 日本は移民などの受け入れを抑えながら国家を維持してきました。しかし、社会の成熟は少子化をもたらしますから、高齢者が社会を支えていかなければなりません。
 がんは細胞の老化といえる病気ですから、働くがん患者が増えることは必然。私たちは「がん社会」を生きることになります。
 現在、わが国の高齢化率(総人口に占める65歳以上の高齢者の割合)は世界最高の29%で、2位のイタリアを5ポイントも上まわります。総人口が減るなかで、高齢者の人口は約3600万人と過去最多を記録しています。
 高齢者の就業率は25%に達しています。特に65~69歳では10年連続で上昇し、50%を超えました。総就労人口に占める高齢者の割合も世界トップ級の13.5%で、ドイツ(2%)やフランス(1%)とは比べものになりません。
 今後、日本人はさらに長く働くことになると思います。50年前と比べて、平均寿命は男女とも12年以上も延びていますが、定年は再雇用などを含めても55歳から10年の延びにとどまります。年金の支給開始年齢は50年前すでに60歳でしたが、今も65歳への移行途上です。
 このままではわが国の年金制度の破綻は目に見えており、支給開始年齢の70歳への引き上げは避けられないと思います。私たちは70歳あるいはそれ以上まで働くことになりそうです。
 本紙が2019年秋に実施した世論調査でも、60歳代の54%が70歳以上まで働くつもりだと答えています。18年秋の調査に比べて9ポイントも増えています。「人生100年時代」を迎え、高齢者を中心に就労意識が大きく変わっていることが分かります。高齢者が長く働き続ける制度づくりが求められるでしょう。
 75歳、80歳まで仕事を続け、その後も社会との絆を保ちながら健やかに暮らす、そんな時代が来ると思います。「老後」が死語になるともいえるでしょう。
 実際、日本人女性の半数以上が、男性でも4人に1人が90歳まで生きています。100歳以上の高齢者の数は52年連続して増加し、22年に9万人を突破しました。
 ただし、百寿者の9割近くが女性です。そこで、男性諸氏に呼びかけたいと思います。一定の生産性を保ったまま90歳を迎え、さらに、100歳をめざそうではありませんか。
 そのためには80歳までにがんで命を落とさないことが大切。60~74歳の男性、35~74歳の女性では、がんが死因の4割を超えています。まさに「がんの壁」です。超高齢社会のフロントランナーとしてこの壁を乗り越えていきましょう。(東京大学特任教授)

 

 

ヘルスリテラシーを処方箋に
中川恵一(がん社会を診る)
 

2023年1月18日 日本経済新聞 夕刊

 
 「がん社会」は私の造語で、働くがん患者が増える社会を意味します。
 社会が成熟すれば、洋の東西を問わず、高齢化と少子化が進みます。欧米と違い、若い移民などを積極的には受け入れてこなかった日本では、高齢者が働く必要があります。そして、がんは一種の老化といえる病気ですから、働くがん患者が急増します。
 例えば日本人男性の場合、55歳までにがんを罹患(りかん)する確率は5%もありません。しかし65歳、75歳、85歳までにがんを発症する確率は13%、32%、53%と、急激に上昇します(生涯では65.5%、つまり3人に2人)。
 今、60代後半の就業率は50%を超え、60代の過半数が「70歳を過ぎても働く」と答えています。がん社会はこの国にとって、当然の帰結といえるでしょう。
 日本の高齢者は長く働ける「若さ」を保っていることも重要なポイントです。
 卑近な例ですが「サザエさん」のお父さんの磯野波平氏は54歳の現役サラリーマンです。漫画の連載が始まった終戦間もない1946年当時の日本人が今よりずっと「老けていた」ことが分かります。
 日本老年学会と日本老年医学会も、歩く速さや歯の数、知力のほか、健康状態も「現在の高齢者は10~20年前に比べて5~10歳は若返っている」と評価しています。
 両学会は、高齢者の定義を「65歳以上」から「75歳以上」とし、65~74歳を「准高齢者」、90歳以上を「超高齢者」という形で区分すべきだと提言しています。
 確かに現代日本の高齢者は働かなければいけませんし、また、働くことができるだけの体力を持っているといえるでしょう。しかし注意が必要なのは、がんのリスクは生活習慣などが同じなら、遺伝子の劣化時間、つまり年齢で決まるということです。どんなに見た目が若々しく、体力があっても、同じ年齢であれば、今も昔も、同じ確率でがんを発症するわけです。
 それでは、高齢まで長く働く日本人に向けた「処方箋」を提案したいと思います。
 それは「がんを知ること」、さらに広くいうならば、「ヘルスリテラシー」を高めることです。
 この世には、発症原因も分からなければ治療法も存在しない「難病」もたくさんあります。その点、がんはヘルスリテラシーを高めることで、ある程度「コントロール可能」な病気です。
 学校でのがん教育が始まったことはエポックメイキングですが、大人のがん教育が大きな課題です。手前味噌ですが、このコラムを毎週お読みいただくこと。このことを強くお勧めしたいと思います。(東京大学特任教授)
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