「メルヒェン」
ヘルマン・ヘッセ
高橋健二 訳
1973年6月30日初版
2007年11月10日第四十九刷
(新潮文庫)
ヘルマン・ヘッセ
ドイツの抒情詩人・小説家。南独カルプの牧師の家庭に生れ、神学校に進むが、「詩人になるか、でなければ、何にもなりたくない」と脱走、職を転々の後、書店員となり、1904年の『郷愁』の成功で作家生活に入る。両大戦時には、非戦論者として苦境に立ったが、スイス国籍を得、在住、人間の精神の幸福を問う作品を著し続けた。’46年ノーベル文学賞受賞。
「メルヒェン」作品概要
誰からも愛される子に、という母の祈りが叶えられ、少年は人々の愛に包まれて育ったが……愛されることの幸福と不幸を深く掘り下げた『アウグスツス』は、「幸いなるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり』という聖書のことばが感動的に結晶した童話である。おとなの心に純朴な子供の魂を呼び起し、清らかな感動へと誘う、もっともヘッセらしい珠玉の創作童話9編を収録。
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新聞を読んでいてたまたま目にした「ヘッセ」の名前。もう学生時代以来まったく目にすることがなく、懐かしくなってヘッセの作品を同じく学生時代以来ぶりに読んだ。
「虚心に純粋であると聞こえてくる天使の音楽は、心のおごったときには聞こえないのである」(195㌻解説/高橋健二:訳者)―どん底に落ちて初めて見える人々の顔があり、初めて聞こえる人々の息遣いがある。
主人公アウグスツスが人生のどん底で初めて見つめた自分自身と、その時に見た人々は、有頂天だった頃には決して見えなかった<人間>それ自体であり、自分がどういう心境や状況であろうと、いつも存在し続けていた。
本書の冒頭作品『アウグスツス』から抜粋
彼は何もかも成行きにまかせた。独房に入れられ、独房から判事や証人の前に引き出された。彼は病んだ目で、いぶかしげに悲しく、多くのいじの悪い、憤りと憎しみを抱いている顔を見つめた。すると、どの顔にも、憎悪にゆがんだ表皮の下に、ひそかな優しさと愛情の光が、かすかに輝いているのが見えた。これらの人々はみんなかつて彼を愛したことがあるが、彼はその中のだれひとりさえ愛したことがなかった。いま彼は皆にあやまり、めいめいの人に何かよい点を思い出そうと努めた。(35㌻)
自分の小さな家の前のベンチにこしかけ、しなびた手を日なたであたためている老人たちを、彼はいとおしく思った。(…)仕事を終えて帰宅し、子どもを腕に抱きあげる労働者や、馬車に乗って静かに急ぎながら病人のことを考えている上品な利口そうな医者や、夕がた場末の街灯のもとで待ち受けながら、彼のようにつまはじきにされた人間にさえもこびを売る粗末な身なりの哀れな少女などを見ると、それらの皆が兄弟姉妹であった。だれもが、いとしい母や、もっと良い素性への思い出や、より美しく気高い使命のひそかなしるしを身にそなえていた。だれもが彼にはいとおしく、珍重に値し、反省の機縁を与えた。彼自身が自分を悪いと感じているより悪い人間はひとりもいなかった。(37㌻)
人々が自分に何を期待するか、何に喜びを感じるかを、読みとることを彼は学んだ。ある人は、高らかな元気のよりあいさつを、ある人は、静かなるまなざしを、またある人は、人が自分を避けて、じゃましてくれないことを、望んでいた。この世にはどんなに不幸が多いか、しかも人々はどんなに満足していられるかに、彼は毎日おどろきを覚えた。すべての悩みのかたわらに楽しい笑いが、すべての葬(とむら)いの鐘とともに子どもの唄が、すべての困窮とあさまさしさのかたわらに、いんぎんさと機知と微笑とが見出されるのを、繰り返し見て、彼はすばらしいことだ、感動的なことだと思った。(38㌻)