一般的に夕焼けが見えるということは、西の空が晴れていて、翌日も晴れる可能性が高いと言われている。科学的にもそうらしい。

 

松山千春「夕焼け」

 

アルバム『木枯しに抱かれて』(1980年10月)のB面3曲目

 

 

歌詞の中に「夕焼け」そのものの描写はない。確かに夕焼けそれ自体を描写するのは意外と難しく、描写できたとしてもありきたりな言葉に収まってしまうかも知れない。この曲は夕焼けを見つめる主人公の心境を歌う。

 

主人公は夕焼けを見つめている。

明日も晴れるな、という気持ちよりも、来し方を振り返り、ふと押し寄せる寂しさや虚しさを抱きながら見つめている。

それを歌詞に落とし込んではいないが、よく聴き込んでいくと、そんな気持ちが多くを占める心の中に、明日への決意や未来への希望が芽生えていると感じる。

 

この曲に限ったことではなく、このアルバムに収録されている曲、「木枯しに抱かれて」「私の明日には」にも同じものを感じる。

 

 

2023年1月4日の日経新聞コラム「春秋」が書いていた。

 

ある年齢を過ぎた人が言いがちな「昔はよかった」

 

ではその「古きよき時代」とはいつのことなのか。米国で行われた調査によると、1930年代と40年代に生まれた人は50年代を、60~70年代生まれの人は80年代を最もいい時期だと考えているという。

 

私は「昔はよかったなぁ」と言うことはほとんどないと自覚していはいるものの、1968年生まれの私を調査結果に当てはめると、1980年代を思って「昔はよかった」と言うことになる。

 

なるほど、私の1980年代は中学1年〜大学4年まで。思い出せば、今も付き合いのある旧友たちとはみなこの時代に出会っているし、松山千春や長渕剛を一番熱い気持ちで聴いていたのもこの頃。

 

今もいつも本を離さないのもこの頃から本格的に習慣化した。今は亡き両親の笑顔が浮かび、声が聞こえてくるのもこの時代が多い気がする。

 

 

では「夕焼け」の歌詞に「あの頃は良かったと ポツリつぶやく」とある「あの頃」とは松山千春のいつ頃か。

 

この曲はおそらく松山千春が23歳、24歳の頃に作られている。とすると、生まれた直後ということは絶対にないにしても、小学生時代か?中高生時代か?北見時代か?…個人的には小学生の頃じゃないかと推察するが、ともあれ振り返るには早すぎる感はある。

それにしても、若干23、24歳の松山千春がよくこうした歌詞を書けたといつも感心する。

 

(LP歌詞ブックレットに掲載された楽譜)

 

「夕焼け」は『木枯しに抱かれて』がリリースされた当時、「北風の中」のあの前奏とともに、よくギターで弾いた。シンプルなアルペジオのギター奏法がむしろいい。
 

このアルバムのAcoustic Guitarはすべて笛吹利明氏。アコースティックギターの音ひとつとってもみても、より生音に近い音で録音されている。

 

「夕焼け」…私の中ではこれも初期の名曲のひとつで、コンサートの二部ラスト前あたりでぜひとも歌って欲しい曲である。

 

 

 

※本稿は2018年8月30日の記事を大幅に編集して作成

 

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撮影者:@hiroiro.papaさん

撮影日:2022年8月1日夕刻

撮影場所:大阪府岸和田市