矢沢永吉が喉(声)の不調で、記念すべき150回目となる予定だった2022年12月20日の日本武道館公演を中止した。即座に、その中止理由と残念でならない気持ちを自身の公式サイトで伝えていた。

 

 

その直後の12月23日、NHK MUSIC SPECIALに生出演した矢沢永吉はその理由などを改めて語った。その中で「来年まだ現役でツアーを開催するということでスケジュールを切って、最初の日本武道館がもう150回目、記念の時になりますね」(要旨)と語っていた。それを聴いて、矢沢永吉の誠実さとファンに対する思いを改めて感じた。

 

 

このシーン(話し)を観ながら(聞きながら)、2018年7月15日放送の「松山千春 ON THE RADIO」を思い出した。

 

「俺とお客さんの宿題だな。生きているうちには野音、一回やらなきゃいけないな」
「野音、中止となりましたが、またいつかチャンスはやってくるんだと思います」

 

松山千春は2018年7月16日に予定していた日比谷野外音楽堂でのライブを突然中止した。その中止は7月12日に日本コロムビアホームページで発表され、その発表以来、中止理由などを初めて語ったのが7月15日のラジオ。

 

その時の内容は以下リブログした自身の記事に記載している。

 

 

矢沢永吉は即座にああいう発言をしてファンを喜ばせたが、そう言えば松山千春、野音”宿題公演”はいつやるのかな?…そんなことを思った矢先の2022年12月25日、今年最後の「松山千春 ON THE RADIO」で野外ライブについて語った。

 

いや実はな、俺もうすうすさ、そう言えば「野外」、東京が中止になってからなぁ、ん~、どうしたもんかなぁ?って考えてんだけどさぁ。

なんせ異常気象だからさぁ、いつやっていいか分かんないもん。これ、7月、8月は出来ないような状態だろ、例年の気温だったらなぁ。そしたら5月か?とかね、4月か?みたいなね。これまた4月だったら北海道はまだ雪が降る可能性があるもんな。じゃ、思い切って沖縄でやろうか?みたいなね。ま、いろいろ考えてマネージャーの井上に相談します。

 

(1981年6月野音公演)

 

昨日の記事にも書いたが…。

 

どこまで本心なのか測りかねるところがあったことを大前提に、どうも「野外コンサート」に関する発言、ラジオを聴いた私の認識に誤りがなければ、2018年7月16日の日比谷野外音楽堂公演を急遽中止したあの事件の”宿題公演”としての「野外」(=野音)と、2012年の十勝野外ライブの中で「野外、またやろう」と言っていたいわゆるイベントとしての「野外」を混同しているところがあったように思う。

 

上に書いた2018年7月の発言では「一生のうちには野音ライブを一回やらなければな」と言っているので、今後、そのうちやれば約束(宿題)を果たすことになるわけだが、一昨日の発言では、松山千春の中では気候変動などを理由に野音公演はもうないものとして、通常の野外イベントをいつどこでどう開催するか?というところに思考のギアが入っているようにさえ感じた。


少なくとも私の中では、野音”宿題公演”と、野外イベントは立て分けている。野音は野音でやってこそ宿題を提出したことになるし、野外イベントも野音とは別ものとしてぜひやって欲しいと思っている。

 

ましてや私の中では他の先輩・同世代ミュージシャンよりも加齢速度が1・15倍速いと思っている松山千春、一年だけでも経るたびにそれらの可能性は極端に低くなり続けていくと予想している。

 

矢沢永吉のように、来年の春や秋のツアーの中で、季節がいい時に、それによっては日程がそこだけ独立していていいと思うので、まずは野音”宿題公演”の実現を心から願っている(既に会場の押さえが無理だと思うが)。

 

松山千春―「貴方のことで」(1981年日比谷野音LIVE)