三浦知良さんが日本経済新聞で連載し、三浦知良さんのオフィシャルサイトともリンクしているコラム「サッカー人として」。11月4日には『ゴールに惑わされずに』(日経新聞タイトルも同じ)と題して掲載されていた(一番下に全文)。
三浦知良さん(鈴鹿ポイントゲッターズ)が10月30日、大阪府枚方市で行われたティアモ枚方戦で、84分に途中出場し1分後に今季初ゴールをPKで決めた。55歳246日でリーグ最年長得点記録を大幅に更新した。この時は長く封印していた「カズダンス」も披露した。
また11月6日に行われた鈴鹿ポイントゲッターズ対ソニー仙台戦で後半途中から出場し、自身の持つJFL最年長出場記録を55歳253日に更新した。
何につけ「結果オーライ」、結果よければすべてよし、という面はある。そこに至るまでの過程で不本意なことが積み重なるほどその言葉は重みを増すし、ある意味労いの言葉にもなる。
人生には10年、20年単位で見ないと結果が出ないことが多々ある。そこに至るまでの道程で、なんで俺ばっかり?そう思いたくなるような不本意なことが続いたりすると、弱気になり投げ出したくなる。
以下のコラムの最後に三浦知良さんは言う。
「続けていってほしい。形として現れた現実だけに、惑わされずにね」
ある意味では短期的な、途中の、目の前の結果に惑わされず、流されず、その努力を続けていく。その時である、自分自身がまた一歩深まるのは。なかなか結果が出ないのは「もう一歩自分を深く大きくするため」「そこに必ず意味がある」「どんなことがあっても歩みを止めない」…そんな言葉を自身に投げかけ、また歩いて行く。
人生の最後に、ああ、俺はこれでよかった。満足だった、これまでの人生に感謝していると思えればいい。途中は積み重ねの途中。人生、最後に勝てばいい。そんな懐の深い生き方、長いスパンと大きなスケールの「結果オーライ」を自分の人生で体現したいものである。
連載「サッカー人として」
ゴールに惑わされずに(三浦知良)
2022年11月4日 三浦知良オフィシャルサイト/日本経済新聞
そば屋に行って厨房の脇を通ったら、「わあ、カズさんだ」「今日はいいことありそうだ」とつぶやかれた。なんだか、年末年始の縁起物のマグロみたいに見られているみたい。サッカー選手が縁起物として喜ばれることを、喜んでいいものか分からないけれども。
とはいえそう思ってもらえるのは幸せで、長い間積み重ねてきたたまものなんだろう。FCティアモ枚方戦のゴールも敵味方の別なく喜んでもらえて、ありがたかった。
サッカーにおいて、ゴールは良くも悪くもすごいエネルギーを持っている。チームがどんなに悪くても、ゴール一つでびっくりするくらい生き返る。残り1分でゴールが入って1-0なら、それまでの89分間も帳消し、みんな幸せになってしまう。それほどの劇薬。
サッカーって数字に出にくいよなと、常々思う。ある試合で僕は残り5分ほどで出場し、5本パスを出して5回通した。成功率100%。でも、短くはたいただけの5回のパスが何かを起こしたわけじゃない。野球ならヒットを打てばヒット1本。ではサッカーで「ヒット」にあたるものは何かとなると、答えが出ない。
結局、ゴールに入らないと形に残らないとなり、数字として目に見えるものはゴールと勝利だけ、という気もしてくる。でも、それにとらわれて「点を取りさえすればいい」ととらえるのは僕は好きじゃない。考えてみれば理不尽で、90分間あらゆるハードワークをしても、なかなか1点さえ入らない。つまらなく映るかもしれないけど、だからこその面白さもたくさんある。
55歳でのあの1得点に、惑わされることなく僕はやりたい。変わらずに次のゴールへ、次へ向けて良い準備を。今まで通り、ずっと一緒です。特別でないことの積み重ねが、特別なことにつながるというかね。
CKの直前で途中出場したあの試合、ほんの1プレー後だったら、CKで起きたPKの場面に僕はピッチにいなかったわけで、得点もなかった。ちょっとしたボタンの掛け違えのようにいい具合でもたらされたゴール、入るはずだったのに入らなかったゴール。サッカーを生きていればどちらにも、何回だって出くわすよ。
ワールドカップ(W杯)メンバーについても、招集されておかしくないのに、選ばれるはずだったのに、選ばれなかった選手たちがいる。その悔しさを察すると、つらい。でも、だからといってサッカーまでもが終わるわけじゃないんだ。
今、32歳の選手は4年後に36歳でしょ。うらやましいよ、今の僕よりまだ20歳ほど若いのだから。それぞれの「次」に向かってほしい。返り咲くチャンスはいくらでもある。W杯だけが、日本代表でもないのだから。
続けていってほしい。形として現れた現実だけに、惑わされずにね。