数日前、大学以来36年来の友だちとホルモン焼きで一席持った。
彼とは卒業以来、年2回夏と年末、よほどのことがない限り2人での一席を続けている。
今年、当初7月にやる予定だったが、彼がコロナに感染してしまったのでこの時期になった。一席の2日前、彼から連絡があった。
「すまん!コロナになっちゃった!家には基礎疾患を抱えた親がいるので、これからホテルに隔離されることになった!」
で、結局8日間隔離された。
彼のお子さんは超早産で、生まれたその時、医者から「2週間もつかどうか。もちこたえて生きても大きな障害が残ります」と言われた。
NICUで保育器に入れられ、たくさんの管が繋がれたその小さな小さな赤ちゃんは、約半年後に退院した。
あの日から18年、彼と夫人は、脳と右手と脚に障害が残った我が子を「障害は自分の魅力であり武器!そう思えるようこの子を育てあげる」と三人で力を合わせて生きてきた。
彼から逐一様子を聞いて来たが、それはそれは壮絶としか言いようがないほどの「戦い」だった。苦難を苦難とも思わず、力強く生き続けてきた三人にいつも合掌する思いで接してきた。
お子さんは必死に必死に頑張って、高校は進学校に入り、今春大学に入学した。今、外国語4言語を学んでいる。入学式の日には彼の家にお祝いのケーキと花束を届けた。我が子のことのように嬉しかった。
父ちゃんがコロナになっちゃったのでちょっと遅れたけど、入学祝いも兼ねて、今年はこれまでにないほど嬉しい乾杯だった。
「虹野、久しぶりにまたお前と飲んで話せてよかったよ」
「俺もそう思う。また年末、やろうぜ」
縁あって出逢う多くの人たち。それによってどれほど自分の人生が彩られることか。心豊かになることか。その縁を大事に、その人たちを大切に―18歳の時に決めた生き方をまた確認した。
家庭を持ち 子供も出来
今分かる親心
ただ無難にやって来れた
回りには感謝だな
荒波の立つ日も
おだやかな日も
そして今日も生きております
何て楽しい人生なのか
(松山千春「生きております」2009年)