旧ソ連時代の初代大統領となったミハイル・ゴルバチョフ氏が30日、死去した。享年九十一。

 

旧ソ連の共産党書記長時代、ペレストロイカ、グラスノスチを旗印に掲げ、その理念や具体的な実現方策を自ら人々の中に飛び込んで語る氏の姿は強烈に記憶に残っている。

 

ソ連にもこういうリーダーがいたのかと、衝撃的であり感動的だった。

 

ゴルバチョフ氏は大統領を退任した後、複数回来日している。別世界、雲の上の存在だったゴルバチョフ氏と、幸いにも仕事を通して講演に参加するなど、複数回お会いする機会があった。もちろん、個別ではなく多くの人の中の一人として。

 

若い世代の人たちとも気さくに会話する姿、その時に氏が発した言葉は、それらから感じた氏の人柄とともに今でも記憶に残っている。

 

ご冥福をお祈りします。

 

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ソ連最後の指導者ゴルバチョフ氏が死去 ロシア通信社
ヨーロッパ
2022年8月31日 5:48 (2022年8月31日 6:36更新) 日本経済新聞

 

 

【この記事のポイント】
・旧ソ連最後の指導者として東西冷戦を終結させた
・ベルリンの壁崩壊を導き、東西ドイツ統合に道開く
・1990年にノーベル平和賞を受賞した


旧ソ連最後の最高指導者で初代ソ連大統領となったミハイル・ゴルバチョフ氏が30日、死去した。タス通信などロシアの複数の通信社が、モスクワの中央クリニック病院の話として伝えた。91歳だった。東西冷戦を終結させ、ベルリンの壁を1989年に崩壊に導き、その後の東西ドイツ統合を実現した最大の立役者。90年にノーベル平和賞を受賞した。

タス通信によると、中央クリニック病院は「重い長期の病気の後、ミハイル・セルゲービッチ・ゴルバチョフ氏が今晩、死去した」と述べた。死因など詳しいことは明らかにしていない。

タス通信は関係者の話として、ゴルバチョフ氏は新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年に同病院に入り、療養を続けていたと報じた。ただ、死因は新型コロナではないという。

モスクワのノボデビッチ墓地に、先に死去したライサ夫人の隣に埋葬されることになるとの見方も伝えた。

1931年3月ソ連ロシア共和国南部のスタボロポリ地方生まれ。55年モスクワ大法学部卒業後、故郷に戻り共産党での活動を本格化した。85年にチェルネンコ氏の死去を受けて54歳の若さで最高指導者である共産党書記長に就任した。

立て直しと情報公開を意味するペレストロイカ、グラスノスチを提唱し、経済的に閉塞感が漂い、秘密主義が横行していたソ連の政治・経済体制の改革を断行した。

書記長就任前から英サッチャー首相(当時)が「彼となら仕事ができる」と述べるなど、従来のソ連の指導者のイメージを一新した。西側では「ゴルビー」の愛称で人気を集めた。

新思考外交を掲げ、イデオロギー色が強い外交政策を転換した。米レーガン大統領(同)とは87年に中距離核戦力(INF)廃棄条約に調印するなど核軍縮の流れを決定づけ、89年12月にはマルタで米ブッシュ大統領(同)ととともに東西冷戦終結を宣言した。中国との関係改善やアフガニスタンからの軍撤退も実現した。

90年には一党独裁の放棄や大統領制の導入などを決め、自ら初代大統領に選出された。しかし、91年8月のクーデター未遂を契機に権力はロシア共和国の大統領となっていたエリツィン氏に移った。同年12月に独立国家共同体(CIS)創設に伴うソ連崩壊で大統領を辞任した。

辞任後はシンクタンク、ゴルバチョフ財団を創設し、海外での講演や環境保護運動などを中心に活動、日本にも頻繁に訪れた。ただ、国内ではソ連崩壊とその後の混乱を招いたとして人気は低く、96年の大統領選では得票率が0.5%にとどまった。

2006年11月、ドイツで頸(けい)動脈の手術を受けるなど健康不安が出ていた。アルツハイマー病も発症しており、近年は活発な活動は控えていた。

ロシアのウクライナ侵攻を巡っては、ゴルバチョフ財団が2月26日、一刻も早い戦闘停止と和平交渉開始を呼びかける声明を出した。平和の実現を祈る情報発信を続けていた。