<2023.08.26>再掲
<2022.08.27>起稿
今日、2022年8月27日は、松山千春を見出し育て、この世界に送り出してくださったSTVラジオディレクターだった竹田健二さんの46回目の命日(1977年8月27日、急性心不全で死去、享年三十六)。
これまで何度も書き残しておこうと思いつつ機を逃していた、松山千春デビュー30周年記念特別番組『松山千春30年目の「旅立ち」』(STV制作)の中の、松山千春が恩師・竹田健二さんを思って語るシーン。
何度見ても泣けてくる。以下にその部分を記載した。
単なるいちファンながら、あらためて、竹田健二さんに心から感謝申し上げ、その恩師をいつまでも大切にする松山千春の心にふれながら、命日、竹田健二さんを偲ぶものである。
(竹田健二さん:上/松山千春:下)
二人で撮った唯一の写真
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(ナレーション)
36歳の若さでこの世を去ったラジオディレクターの竹田健二さん。松山さんにとっては「歌手 松山千春」の生みの親です。東京ではなく、北海道で歌いたいと言う松山さんのわがままを聞いて、今のスタイルを作ってくれたのも竹田さんでした。
(松山千春)
もう竹田さんがすべてかなぁ。竹田さんに、ほんとに拾われたと言うか…。まぁ~俺みたいな男の、どこにその可能性を見出したのか、知らないけど。この世界に引っ張り込んでくれて。そればっかりだなぁ、とくにこの頃。竹田さんは俺の何にその良さを見つけ出したんだろうか、見出したんだろうか…。それすごい、30年経ってみてあらためて、考えるなぁ…。
(ナレーション)
デビューする1年前から松山さんはギター片手に毎週足寄町から通い、このホールで毎週2曲ずつ弾き語りをしていたのです。この日は松山さんのデビュー30周年を祝う公開生放送。ホールに集まったのは昔からのファンの人たちです。

(松山千春)
(竹田さんは)厳しい方でしたからねぇ。「お前なんだ、まだこんなくだらない歌を作ってんのか!」とかね、言われそうな気がしますね。(…)
(竹田さんが全部書いた松山千春「旅立ち」コンサート=ファースト・コンサートの台本を見せながら)これが竹田さんの字です。
”この曲が終わったら、こういう話をしなさい”…そういうふうに書いてくれたんです。(ここから松山千春が号泣し、言葉を詰まらせながら語る)STVの方ももうこの字を知らない方が多いと思うんですけど。竹田さんはほんとにきっちりと…。今ラジオをやっている人間でもここまでの台本を書ける人間はいないと思います。
そういう意味では自分にとっては宝物だし。そしてここで(STVホールで)毎週2曲ね、竹田さんに言われて、「必ず2曲作って来い」って言われて歌ってたんだけど。自分はそのプロになるとかね、そういう気もなかったし。ただ歌が好きだからやってたんだけど。多分、竹田さんがこのきっちりとした字で書いてくれたからこそ、自分は今、ここまでやって来られたんだと思って。
これはもう自分の宝物として、ずうっと、30年経とうが、50年経とうが、とっておきたいと思ってます(会場大拍手)。
(ナレーション)
ディレクターだった竹田さんがデビューしたての松山さんのために綴った手書きの台本。これが歌手・松山千春の原点です。そして松山さんが初めて恩師・竹田さんに聞かせた曲がこの旅立ちだったのです。
(松山千春)
32年前のこのホールのこの場所で、足寄からギターを持って、この曲(「旅立ち」)でアマチュアとしてコンテストに参加したわけだ。(…)荒っぽ~い歌でさ。ま、今でも大して変わってないけどよ。(俺の)どこがよかったんだろうなぁ、竹田さん。よくプロにしてくれたと思うよ。
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松山千春-「旅立ち」(1979年映像)
松山千春ー竹田さんについての語りと
「旅立ち」(弾き語り)
(2018年熊本でのライブ音源)







