「松山千春コンサート・ツアー2022春」、6月28日、29日札幌千穐楽公演が終わった3日後の7月3日の「松山千春 ON THE RADIO」、無事ツアーが終了したことへの感謝を述べつつ、新曲についても少しだけ語った(以下強調)。
ぜひとも新曲を出して欲しい。世界情勢や日本を見て、そこで必死に生きる人々を見て、フォークシンガー、今こそ歌う時であり、新曲を出す時だと思う。
あとは~新しい曲だよな、新曲を…。こればっかりはさ、俺はそのぉ作詞作曲家じゃないからさ。ギター持ってな、“ん?出来そうだな”、みたいな感じで作るタイプだからなぁ。まぁとにかく夜、ギター抱いて寝てみるよ。そしたら、ひょっとしたらいい曲が生まれて来るかもしれないしなぁ。
8月14日の同番組でも
俺の場合さ、作詞作曲ってな、(歌詞とメロディが)湧いてこないともう(できないんだ)…。“さぁ、作りましょう!”って言ってな、それこそ譜面に向かって“いくぞ~!”っていうそういう作り方じゃないから。まぁギターを置いておいて、夜中、ふと浮かんで来る…。
歌詞とメロディが同時に浮かんで来ることは何十回とラジオやライブなどで語っている。
一方で、完全に一致した例えではないが、この話しを聞くといつも思い出すのが「悲しい時には」(1980年/アルバム『木枯しに抱かれで』収録)。
(1980年12月)
1979年12月23日にテレビ放映された番組「松山千春 大空と大地の中で」では、「悲しい時には」のメロディだけがBGM的に使われていた。
翌1980年12月28日に放送された「CHIHARU TAKE OFF~25歳の旅立ちに託して~」のラストでは歌詞が入った「悲しい時には」のライブ映像が収録されていた。
歌の途中で語っていた。
「この歌、覚えてますか?去年テレビをやった時にバックでこのメロディが流れてたと思いますが。あの時は詞がなかったんですが、こうやって一人前の歌になりました」
「悲しい時には」はメロディが先、歌詞が後、ということだろう。
松山千春―「悲しい時には」(1980年NHKホール)
松山千春は、唯一のインストゥルメンタル・アルバム『私からの手紙 -MY LIFE』(1982年)をはじめ、「soupir」(2000年/シングル「君に」CW)やアルバム『LaLaLa』(2000年)収録の「プロローグ」と「エピローグ」など、メロディだけの歌も残している。
目的などに応じてそのあたりの作り方を多少は変えているのだと思うが、ともあれ、歌詞とメロディが一緒に出て来る(湧いてくる)というのが松山千春の歌作りの基本スタイルなのだろう。
当然ながら、いちファンとしてはそうなんだなと受け入れるところ。それが松山千春の良さでもあり、とにかく自分の中から最初に生まれ出たものを大切にするという気持ちもよく分かる。
一方で、それは基本的には松山千春もともとの語彙力頼みとなり、結果として多くの曲でありきたりで同じ言葉や言い回しを使うことにつながっている。
新曲を聴いていても次の歌詞がだいたい分かるので新曲を聴いている気がしない。
聴いていてワクワク感に欠ける。要するにすぐに飽きる。そういうことを分かって、40数年間応援しているわけだが。
また、その後ろにはもっとたくさんの熱い思いがあるのに、いざ歌詞になると抽象性の高い断片的な言葉をぽつぽつ置きがちだったり、安易にラブソングに歌詞の世界を置き換えてしまい、松山千春が語った思いが半分も反映されていない。
とりわけラブソングに同じような言葉と言い回しを使っている感が強い。
とくにコンサートでのトークやラジオを聴いたりしない人が歌だけ聴いたのでは、松山千春が意図するところはなかなっか分からないし伝わらないかもしれない。
そもそもコンサートに行き、ラジオでその背景を聴いている人でないと分からない曲だったら、シンガーソングライターとしての根本的な問題があるだろう。
長年のファンも含めてシングルを買っている人は決して多いとは言えないが、「シングルを出しても、また世間はうんもすんとも言わなかった」(松山千春)理由のひとつはそんなところにもあるような気がする。
名曲と言える光る曲もあるが、その数はキャリアを重ねるほど少なくなってきていると、私の感覚では正直そう思う。
このあたりのことは松山千春本人も少し認識しているフシがあり、2020年10月18日放送の「松山千春 ON THE RADIO」では
俺、詞と曲が一緒に出来るタイプなんだ。だから出来上がって、ぱっとみたら、あら?こんな詞になってる、みたいなな、後で自分で気が付くっていう状態なんだなぁ。
と語っていた。
いちファンとしての勝手な要望、願いを言えば、メロディと一緒に生まれ出て来た歌詞を幾重にも思索し、入念に推敲してほしいところ。
”この言葉を別の言葉で言えないか?もっと具体的な表現はないか?”
”このフレーズは別のこういう言い回しにした方がいいんじゃないか?”
”もっと言葉を尽くせないか?”
”この歌詞に込めたメッセージにもっと厚みを与えるためにこのブロックを加えたらどうか?”
”サビのこのカタカナや英単語に多くを語らせ過ぎていないか?”
”この街の片隅で必死に生きて来たのを恋人同士にしてしまえば、いつものパターンじゃないのか?そうやって生きて来たのは自分じゃないのか?だったらこの歌詞は恋愛仕立てにしないで、その自分の生き方を伝える歌詞に変えられないか?”
”いつも女性が我慢し、男性を待っている…そうしたシチュエーション、男女観は今の時代に合っているのか?”―時に歌詞の表現のベクトルを見直したっていいんだと思う。
…そうした労作業は、最初に生まれ出た歌を損うことではないと思うし、そんな手間をかけて歌詞を仕上げてくれたら…。
もちろん今こうやって書いていて、”松山千春にそれを求めるのはやっぱり無理だろうなぁ”と思ってしまう面もあるが、だからこそ「願い」として。
松山千春の先輩や同世代ミュージシャン達が、後輩たちだって、今の時代の中で仁王立ちで頑張っていい歌を残している。その人なりに時代に社会に人々に一生懸命メッセージを送っている。
松山千春、今年12月で67歳。「俺はフォークシンガーだ、俺の歌はメッセージだ。俺は歌うために生きているんだ」と日ごろから豪語しているじゃないか。
ぜひ今こそ言行一致、人間的な成長と深みを感じ、そしてメッセージのある歌詞で綴られた歌、人々を勇気づける歌を残して欲しい。
松山千春―「決意」(2010年)
松山千春―「淡い雪」(2017年)