(松山千春写真集「激流」より)

 

2022年8月8日は松山千春46回目のファースト・コンサートの日。
 

1977年8月8日、当時の北海道厚生年金会館で開催した。

 

1977年1月25日に「旅立ち」でデビュー、同年6月25日にファーストアルバム『君のために作った歌』とセカンドシングル「かざぐるま」を発表、その流れからの8月8日、ファースト・コンサート開催。

 

(同上)
 

この日に関連して、今日(8月8日)には松山千春が主催する「シンガーソングライター・オーディション」の最終審査がSTVホールで行われる。最終審査自体は関係者のみ、一般非公開だが、どういう人が選ばれ、どういうふうに発表されるのか、楽しみにしている。

 

一番近いところでは、2020年8月9日の「松山千春 ON THE RADIO」で、多くの時間を使ってファースト・コンサートのことや自分を見出してくれた恩師・竹田健二さんのことを語っていた。その時の語りは以下リブログ記事中に記載している。

 

音楽評論家の富澤一誠氏が1979年4月10日に著した『松山千春―さすらいの青春』(立風書房:当時/現在は存在しない)にファースト・コンサートに関する当時の関係者の声が掲載されているので、抜粋した。

 

(同上)
 

なお、あくまで1979年に発刊された書籍からの抜粋のため、そこに記載されている人物や肩書などは当時のものであり、かつそれらの人物などがその後どうなったのか、また現在の松山千春との関係性などは私の知る限りではない。

あくまで松山千春のファースト・コンサートに関する周辺状況を知る資料としてご確認いただければと思う。

なお、以下に使用している写真はすべて同書に挿入されているものを使用した。またテキストボックス外の青字は、本書本文からの抜粋で富澤一誠氏によるもの。

 

  
 このとき(ファーストアルバム『君のために作った歌』リリース当時)、北海道では既に千春ブームが訪れていた。
  STVラジオの渡部副部長は語る。
 「『旅立ち』を出した頃から、人気が急上昇し、ファースト・アルバムを出した頃は、もうすさまじいばかりだった。STVホールは定員五百七名なのに千二百人ほどお客が来てしまったり、番組は正午から始まるというのに、女子高校生が六時頃から並び始めたりして、それはもう大変な騒ぎでした」(同書150㌻)

 そんな人気を反映して、千春は北海道ではスターへの道をひたすら歩んでいたが、竹田ディレクターは、今度は、千春のワンマン・コンサートを打つことにした。そうすることにより、北海道での人気を一気に爆発させようと考えたからだ。STV内部で検討した結果、千春の人気から二千人以上の動員はかたいと判断し、八月八日、札幌厚生年金ホールで行うことを決定した。
 札幌厚生年金ホールと言えば、二千三百人を収容できる北海道最大のホールで(…)有名だった。それをまだ新人の千春が、デビュー・コンサートで使うということは、北海道で大きな反響を呼んだ。だが、STV内部では、竹田ディレクターを筆頭にして、誰でも「満員になる」と信じて疑わなかった。

 


 「確かに札幌厚生年金ホールは大きな会場ですから、みんな千春がそこでワンマン・コンサートをやるって聞いたときはびっくしりしたようです。でも、ぼくは、絶対に満員になると思ってました。だって<サンデー・ジャンボ・スペシャル>の千春の人気は異常としか思えなかったから。STVの内部では、みんなそう思ってましたよ」
 とSTVラジオの北川ディレクターは語る。(同書151㌻)

 キャニオン・レコードの山本ディレクターにとっても、それは大きな意味を持っていた。というのは、コンサートの模様を、会社の人間に見せることにより、千春の本当のすごさ、素晴らしさを会社に認識させる必要があったからだ。
 


 「キャニオン内部において、千春の評価はゼロにひとしかった。いくら口で言っても信じてはもらえなかった。そこで北海道での人気ぶりを実際に見てもらう他ないと思って、会社の人間を連れて行くことにした。そうすれば、絶対に会社もノッてくれると思った。だいたいレコード会社というのは、売れないと動かないところだから、見せればいいと思った。そのとき、どうせならマスコミの人も何人か連れて行って、実際に見てもらおうと思った」(同書152㌻)

 山本ディレクターは、そう思い、会社を説得した。すると幸いなことに、制作部長が自ら「行く」と言い出し、マスコミの人も、その場でピック・アップされた。
 こうして、初めて松山千春を北海道で見るツアーが結成された。

 

 松山千春のファーストコンサートに実際に参加した著者が本書に残した内容


 (右:富澤一誠)

 「(…)たかがローカルの新人シンガーがと思っていたのが、なんと二千人以上の客を集めていたことは、これは驚異的だった。
 その驚異的なことが、ステージが進むにつれて次々と起こっていった。
 照明が暗転して幕が上がり始めると、もうキャー、キャー、ピー、ピー、とてもフォーク・コンサートの雰囲気ではなかった。しかも、千春はたったひとりでギターの弾き語りをしているだけなのに、すさまじい嬌声である。(…)今にもステージにみんなが殺到してしまいそうな熱気があった。
 そして、その熱気が、第二部バック・バンドをつけて、千春が可愛い衣装に身をつつみ、ハンド・マイクを持ってうたい始めたときから爆発した。もう客席のいたるところからの嬌声で歌などろくに聞こえないほどだった。(…)とくにラスト及びアンコールのときはすさまじかった。女の子が全員総立ちになったかと思うと、ドーッとステージに殺到した。ある者は「千春!」と泣き叫び、そしてある者は今にもジャンプしてステージに上がってしまうような勢いだった」(同書154㌻)

 

松山千春―「君のために作った歌」(1980年LIVE Ver.)