<2022.8.3記事>

 

 

さて、矢沢永吉サブスク全解禁、矢沢永吉の気持ちを受け止めるような思いで、CDを買うまではいかないがぜひ聴きたかったオリジナル・アルバム『いつか、その日が来る日まで...』(2019年9月4日リリース)を早速DLして聴いている。

 

 

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<2022.8.1記事>

 

 8月1日、サブスク全解禁に踏み切った矢沢永吉のロングインタビューが、Yahoo!オリジナル「特集」に掲載された。

 サブスク全解禁を切り口にしながらも、50年突き進んできた矢沢永吉の生き方、歌い手としての矜持を語っていた。いい内容だった。

 根っこは自分に、自分の歌とパフォーマンスに自信があるが故のサブスク全解禁だと読み取った。

 

 「CDやダウンロードの売上データを見ると、今までの矢沢のファンではない若い人がガンガン矢沢の曲を聴き始めてるんですよ。『ニューグランドホテル』とか『A DAY』とか。それを聞いたとき、届けたいという気持ちがありましたね。もう全部やっちゃおう、って」(矢沢永吉)

 「世界は動いてるんだから。その時代に合わせて楽しんじゃおうよ」(同上)

 

 当然ながらミュージシャンや音楽を聴く人それぞれの考えがある。がゆえに、サブスクへの対応もそれぞれ。

 私個人に引き当ててみると、サブスクに加入しているがゆえに聴くことができたミュージシャンとその歌がたくさんある。それを聴くことによってさらにライブ映像を観に行ったり、場合によってはライブに行くことだってあるだろう。逆に言えば、サブスクに加入していなかったら、わざわざ数千円払ってCDや映像作品を購入することはまずなかったであろうミュージシャンが多くいる。

 常に動き続けている時代の中で、ミュージシャンサイドにすれば新しいファン層を獲得する、もしそこまでいかなくても、自分のファンではない人にちょっとでも聴いてもらえる機会を提供する、という意味では必要なツールだと思っている。

 

 インタビューの中で吉田拓郎の引退についても言及している。

 

 「もっと歌ってよと言いたい。拓郎のあの声、あのメロディーをまだまだ聴きたい。音楽仲間としては、もったいない、とんでもないよと思う。だけど、これは付け加えておきたいね。外の人間にはわからない、ご自身しかわかり得ないことがあるのかもしれない」

 インタビューの最後に、吉田拓郎との比較ではなく、矢沢永吉自身のスタンスを語っている。


 「いずれ歌いたくても声が出ないとか、あのステップを踏めないとか、そういう時が黙ってても来るでしょう。『(観客に対して)おまえが取るのか、俺が取るのか。いこうぜ!』という戦いができなくなったら、マイクを置きます。でも、矢沢の魂はまだまだ老けませんよ」

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最初は抵抗あったけど、もう全部やっちゃおう、って――サブスク全解禁、矢沢永吉50年目の先へ
Yahoo!ニュースオリジナル「特集」  8/1(月) 10:20配信

 

 「世界は動いてるんだから。その時代に合わせて楽しんじゃおうよ」
日本にロックンロールを定着させた矢沢永吉が8月1日、サブスク全解禁に踏み切った。ストリーミングに否定的なミュージシャンもいる中で、なぜ72歳の彼は決断を下したのか。昭和の頃から著作権や肖像権を主張し、時代を切り拓いてきた先駆者はどのように芸能界特有の圧力を跳ね返し、デビュー50周年を迎えたのか。

(文:岡野誠/撮影:平野タカシ/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

サブスクは時代の流れですよね

 

撮影:平野タカシ

 「サブスクで聴き放題は抵抗ありましたよ。最初はね。僕も昔の人間ですから、本当に一つひとつのアルバムに思い入れが強い。でも、時代の流れですよね」
矢沢は冷静な口調で語り始めた。
 音楽市場は徐々にCDからサブスクへ移行している。矢沢は既に3年前から楽曲を配信していたが、なぜ今回ライブ盤を含むアルバム45枚、計638曲もの解禁を決断したのか。
 「CDやダウンロードの売上データを見ると、今までの矢沢のファンではない若い人がガンガン矢沢の曲を聴き始めてるんですよ。『ニューグランドホテル』とか『A DAY』とか。それを聞いたとき、届けたいという気持ちがありましたね。もう全部やっちゃおう、って」
 2006年の『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』を皮切りに音楽フェスティバルに出演し始めて以降、新しいファン層が広がった。
 「矢沢を見たことのない若い連中からの反響がすごかったんですよ。『気づいたらこぶしを天に上げてました』とか『本物を見ました』というアンケートを読んで、なんで今まで俺はフェスに出なかったんだろうって。そこから『RISING SUN』や『ap bank』などに出て、今では自分でもフェスを主催してます。切り替え早いからね、矢沢」

残るものは残る。飛ばされるものは飛ばされる

 

撮影:平野タカシ


 サブスクには否定的な意見もある。アルバム1枚3000円程度のCDに対して、主に1ヶ 月定額聴き放題で980円。再生数の上位からギャラが分配されると言われ、アーティスト側の収益が少ないとの指摘もある。
 「そうなんですか? やめようかな……なんつって(笑)。ジョークよ、ジョーク。でも、大変なんじゃないの? 管理してるほうも。サブスクを発明した人、すごいと思うな。(アーティスト側を)よくまとめたね。まあ、怒っていてもしょうがないでしょ。グジャグジャ言っても、世界は動いてるんだから。だったらその時代に合うやり方で続けつつ、楽しんじゃおうよ。サブスクが主流になっても、ライブは不滅だと思うし。これから、生のステージで力を発揮できない歌手やバンドは、ますます淘汰されていくんじゃないですか」
 サブスクの台頭で、音楽の作り方が変わったとも言われる。「サブスク以前」と比べ、短いイントロやサビ始まりの歌が増加している。
 「わかるよ。だって今、僕もNetflixをガーッと見て、面倒くせえと思ったら、途中で止めちゃうもんね。もったいないような、良くないような気もするけど、そうなっちゃうんだよなあ。見放題でいくらだからさ。それはもう、しょうがないんじゃないの? つまんないもん、いつまでも付き合っていられないから、パンと飛ばして次行きますよ。でも、何でもそうだけど、残るものは残る。飛ばされるものは飛ばされる。残るものは、二度でも三度でも見ますよ」
 振り返れば、矢沢は音楽界でいち早く携帯サイトを立ち上げ、1990年代からMacを駆使して音楽制作に励んでいた。常に、時代の潮流に乗る柔軟性を持ち続けている。
その一方で、己のスタンスを変えない頑固さも貫いてきた。高校を卒業した1968年、作曲ノートの入ったトランクとギター、所持金5万円を握り締め、広島から夜汽車に揺られて横浜に辿り着いた。
 アルバイトをしながら頂点を目指し、1972年にキャロルのメンバーとしてデビュー。“伝説のロックバンド”とも呼ばれているが、実際にはオリジナルアルバムの売り上げはデビュー作『ルイジアンナ』3.5万枚、2枚目『ファンキー・モンキー・ベイビー』6.4万枚、3枚目『キャロル・ファースト』4.9万枚。シングルの最高枚数も『ファンキー・モンキー・ベイビー』の8.3万枚だった(いずれもオリコン調べ)。それがキャロル解散10年後には、各作品累計で100万枚近くまで売れた。
 いわばソロ転身後の矢沢の奮闘がキャロルをのちに“伝説”にした。このような1つの言葉に対する緻密さが、音楽制作にも通じている。もっと良い音があるのではないか。もっとリスナーに響く歌い方があるのではないか。技術を追求し続けた。その積み重ねが多彩なメロディーメーカー、異次元のロックシンガーを生んだ。

 

そのうち消えるって言われたけど、消えないんだよ


撮影:平野タカシ

 1975年、キャロルの解散コンサートが終わるとアメリカに飛んだ。日本で誰もしていない海外レコーディングに挑戦した。自前で製作費を用意し、映画『ゴッドファーザー』の音楽を手掛けたトム・マックをプロデューサーに迎えた。それでも、ソロデビューアルバム『I LOVE YOU,OK』はファンに不評だった。キャロルの『ファンキー・モンキー・ベイビー』のような曲調が求められた。
 「叩かれましたよ。『おまえのロックはもう死んだ』とか『女みたいな歌を歌うな』とか言われたもん。だけど、ファンとかマスコミってそんなもんじゃない? それで(2枚目以降のアルバム)『A Day』、『ドアを開けろ』で徐々に来て『ゴールドラッシュ』で爆発していった。そしたら、批判していたヤツが『俺は矢沢が来ると思ってた』とかさ。ラジオの生放送で『だから当てにならねえんだよ、こいつら』って俺は言ったよ。(笑)」
 矢沢の言動は異端そのものだった。ファンやマスコミに媚びず、事務所やレコード会社に対して「俺の取り分はどうなってるんだ」と声高に叫んだ。当時、レコード売上がミュージシャンの懐にほとんど入らないことに異を唱え、自らの著作権を主張。音楽出版社を立ち上げ、原盤権を獲得した。日本にそんなアーティストはいなかった。
 「あの頃ね、金の話をしたら『守銭奴』とか『ロックシンガーの風上にも置けない』とか言われましたよ。でも、そういうヤツらが、だいたい裏で金操作してるんじゃねえの? 矢沢消えてほしい、潰したいと思ったヤツは(業界に)たくさんいたでしょうよ。そのうち消えるって言われたけど、消えないんだよ。消えない、消えない……やがて矢沢の時代が来るわけだよ」
 「(歌手は)所詮、水商売じゃん。イロモノですよ。その段階じゃ、ギャランティーも何もありゃしない。(実力が)抜けていかなきゃ。駄目なんだよ!」


撮影:平野タカシ

 ソロ4年目の1978年にはアルバム『ゴールドラッシュ』、シングル『時間よ止まれ』、自伝『成りあがり』などのヒットで『高額納税者公示制度』(長者番付)の歌手部門1位に輝いた。申告所得額は1億7123万円。同部門で1980年、1982年にもトップに立ち、最後の公示である2004年も3位に入った。
 「本当に生意気な言い方、矢沢はさせてもらいます。自分で勝ち取ったんですよ。むしり取ったというのかな、この業界から。びっくりしたと思うよ。こんなヤツが出てきたよって」
 圧力は掛けられなかったのだろうか。
 「どうでもよかったね、圧力は。こっちは失うもんないし。あの頃の矢沢って『来るなら来い!』と思ってたからね。だって、もともと何もないじゃん。まだロックの市民権がない時代にさ、何を失うよ」
 「今思えば、テレビに100パーセント依存したポジションでいたら、なかなか言えなかったのかな。僕にはよくわからないですけど」

 『時間よ止まれ』が大ヒットした1978年、テレビ局から依頼が殺到した。出演すればさらにレコードは売れ莫大な金銭が手に入る。だが、矢沢は拒否の姿勢を貫き、ライブを大事にした。街から街を渡り歩いて同年101か所でライブした。ある地方を訪れた時には楽屋がなく、近くの駄菓子屋の6畳一間を借りて着替えた。束の間の休息に、音楽や著作権の研究を重ねた。自由奔放に見える振る舞いの裏には、人知れない努力や苦労があった。
 「だけど良かったよ、生意気で。20年、30年経って、サッカー選手や野球選手が自分の取り分をちゃんと主張して、数億円もらうようになった。今は普通じゃあないですか。日本で最初に言った歌手は矢沢です。俺の取り分、どうなってる? って。矢沢、間違ってなかったのよ」

 

撮影:平野タカシ

 

 既存の権威に歯向かい、敵だらけの四面楚歌状態で、なぜ矢沢は生き残れたのか。
「俺の意地なのか。でも、そんなもんじゃダメだろうな。音楽性がなかったら消えてる。根性がどうした、意地がどうしたでね、50年やれないから。やっぱり、口ずさみたくなるメロディーがあったからじゃないですか」
 70歳を超えても、矢沢は全国ツアーを続けている。ステージを2時間も縦横無尽に駆け回り、観客を飽きさせないため適宜セットリストも組み替える。ハードな日程をこなすため、普段から日々のトレーニングを欠かさない。そして真夏の今も、自分を追い込んでいる。
 「個人リハーサルではエアコン止めて、ストーブ2台焚いて1時間ぐらい歌ってます。ステージの上って照明がガンガン当たるし、暑いですから。これやっとくと、持久力が上がってくる。脱水症状を起こしちゃいけないから、塩分や水分を意識して、汗かいたらTシャツを取り換えながらね。あのね、真夏にストーブ焚くと暑いんだよ」

72歳、まだまだステージで戦う
 

撮影:平野タカシ

 今夏には50周年ツアー『MY WAY』をスタートさせ、8月27日、28日には新国立競技場史上初の有観客ライブを行う。
 「このぐらいの年になったら、あっち痛い、こっち痛いはありますよ。でもね、考えというか、現実とどう向き合いながら、ツアーをやるか。去年、最初の4、5本はね、ステージが終わったら足が痙攣していたのね。それが本数を重ねていくと、症状が出なくなる。大変だけど、そのギリギリ感が面白い」
 6月、吉田拓郎の引退が報じられた。かつて、ラジオにゲスト出演するなど親交の深かった盟友の決断をどう感じているのか。
 「もっと歌ってよと言いたい。拓郎のあの声、あのメロディーをまだまだ聴きたい。音楽仲間としては、もったいない、とんでもないよと思う。だけど、これは付け加えておきたいね。外の人間にはわからない、ご自身しかわかり得ないことがあるのかもしれない」
 これからもずっと、矢沢は日本武道館のステージで「ロックンロール!」と叫び、マイクターンをかます。「ルイジアナ!」の一声とともに、客席でタオルが宙を舞う――。そんな想像は許されないものか。
 「いずれ歌いたくても声が出ないとか、あのステップを踏めないとか、そういう時が黙ってても来るでしょう。『(観客に対して)おまえが取るのか、俺が取るのか。いこうぜ!』という戦いができなくなったら、マイクを置きます。でも、矢沢の魂はまだまだ老けませんよ」
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矢沢永吉(やざわ・えいきち) 1949年広島県生まれ。今年デビュー50周年を迎え、今夏には史上初となる新国立競技場での有観客ライブを控える。8月1日からはライブ盤を含む新たにリマスターされたアルバム45枚、計638曲のサブスク配信を解禁。うちApple Musicでは、ドルビーアトモスによる空間オーディオにミキシングされた『I LOVE YOU,OK』『いつか、その日が来る日まで…』『ALL TIME BEST ALBUM』の3作品を独占配信する。

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(2022年6月9日 NHK総合『ニュースウオッチ9』)