長男が「バイト代が入ったから。ちょっと遅れたけど、父の日に」と、ぼそっと言いながら日本酒【大吟醸 越後桜】をくれた。嬉しいね。長男と一緒に、自宅ではかなり久しぶりに飲んだ。
「のたうちまわるほど ぶちのめされた夜
おんぼろな傷口を酒で散らした
てめえの器に 嫌気がさしてきた
八つ当たりしても帰る場所もない」
(長渕剛「SITTING IN THE RAIN」)
逆境、苦境のいいところは自分自身を見つめられること。順境、調子がいい時にはまずそれはできない。
自分を見つめた時、「もう一人の俺」と言っていい過去の自分がいて、その言動、根底にある考え方、器の小ささに嫌気がさしてくる。そういう自分を叩きのめしたくなるが、帰る場所は結局自分自身でしかない。
今頃気づいたか…何歳であろうと気づいた時がその人にとって一番いい時。
来た道を引き返して、自分自身をリライトできるわけもない。そういう自分を全部自分で引き受けて、良いところもひっくるめて「それも自分」と思い直しまた歩いていく。その時「もう一人の俺」に比べるとゆとりができて、器が広がった自分に気づくもので、新しい自分の発見を嬉しく思う。
…大吟醸、もう一杯。
長渕剛「もう一人の俺」
1980年9月にリリースされた長渕剛サードアルバム『乾杯』に収録。
久しぶりにこの曲を弾き語りした。
私はCoffeeは昔からブラック。飲んでコーヒー豆の種類が分かるレベルではないけど、Coffeeが大好き。朝起きて一杯、職場で朝の立ち上げの時にもう一杯、午後3時前後にさらにもう一杯。
1983年のいつだったか?1983年2月21日の長渕剛日本武道館公演の模様がNHK‐FMで放送された。それを録音して何度も何度も聴き、ギターを合わせていた高校1年。この時の放送で「もう一人の俺」と「18インチの罠」を2曲続けて流していたが、この2曲、レコードのアレンジとはまったく異なっていて特によかった。
「疲れた男がひとり 名もないCoffee terraceで」、死んでしまったあいつのことを思いながらも、過去の自分、「もう一人の俺」と対峙している。「てめえの器に 嫌気がさしてきた」(同上)。前に進もうとする時に、その「もう一人の俺」が行く先を阻む、足を引っ張る。
Black Coffeeをもう一杯飲んで、そんな「もう一人の俺」を蹴飛ばして、また歩いていきたいんだ。だからBlackCoffeeもう一杯。
長渕剛―「もう一人の俺」
同じ顔した奴らで 賑わうこの街のふきだまり
疲れた男がひとり 名もない Coffee terraceで
何を想うか 何を見たか
死んじまった あいつの事
重なり合った 過去の愛
路上に吐いた 血へどの日々
いつからだろう もう一人の俺が
寒いこの部屋に 釘を刺し
ため息ばかりを ぶらさげてたのは
Black Coffee もう一杯
だから Black Coffee もう一杯
わけもなく ただ 吐く息の白さに
目をくばりながら
Black Coffee もう一杯
だから Black Coffee もう一杯
苦い愛に背を向けた 俺らひきょう者
電信柱の広告に すがりついた その昔
幸せばかり羨みながら 這いずり回り逆戻り
挫折は俺の 勲章なんだと
ほざきながら 生きていた
毒気いっぱい かじりながら
すっぱい雨に 打たれていた
いつからだろう もう一人の俺が
寒いこの部屋に 釘を刺し
ため息ばかりを ぶらさげてたのは
Black Coffee もう一杯
だから Black Coffee もう一杯
わけもなく ただ 吐く息の白さに
目をくばりながら
Black Coffee もう一杯
だから Black Coffee もう一杯
苦い愛に背を向けた 俺らひきょう者