日本のがん教育とがん治療に尽力している東京大学特任教授の中川恵一氏。日本経済新聞(夕刊)で長く「がん社会を診る」を連載している。
素晴らしいお人柄で、診てもらった患者さんの多くが「安心して治療を任せられる」と言う。ご自身もがんになられたことで、これまで以上に患者さんのお気持ちを受け止め寄り添っている。
その中川氏が6月15日の同連載で「ウクライナのがん事情」と題して寄稿していた。がん専門家でかつあのお人柄あっての視点でウクライナ戦禍を憂い、人々に思いを馳せる。
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ウクライナのがん事情 中川恵一(がん社会を診る)
2022年6月15日 日本経済新聞 夕刊
ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まって以来、700万人近いウクライナ市民が国外に避難しています。避難先で見通しのない生活を送るのは不安が大きいはず。がん患者であれば、なおさらです。
ウクライナで、がんと診断される人は年間約16万人で、その半分にあたる8万人あまりが、がんで命を落としています。
日本での、年間のがん診断数と死亡数は、それぞれ、約100万人と38万人ですから、日本の人は、がんになっても死亡する人が少ないことが分かります。年齢構成まで考慮した人口10万人あたりの死亡数(年齢調整がん死亡率)はウクライナでは103ですが、日本は82です。ウクライナの死亡率の高さがうかがえます。
75歳までにがんで死亡するリスクも、ウクライナでは男性17%、女性9%ですが、日本では男性10%、女性6%と、ずっと低い数字です。
今、日本は人口の減少に直面していますが、ウクライナは世界でもっとも、人口減少が激しい国の1つです。
91年のソビエト連邦の崩壊でウクライナが独立国となった当時、人口は約5146万人でしたが、20年には約4373万人に減少しています。国連の人口予測によると、50年には約3522万人と2割近く減少します。これはロシアの侵攻が起こる前の予測ですから、実際にはさらに人口減少が進む可能性が高いと思います。
ウクライナの平均寿命はおよそ、男性68歳、女性が78歳。ロシアでも、ほぼ同程度で、両国とも男性の短命が際立っています。飲酒の影響が大きいとされ、酒飲みの私には耳が痛いところです。
20年の日本の人口はウクライナの3倍弱ですが、がん罹患数では6倍以上。がんは一種の老化と言える病気ですから、平均寿命が世界トップクラスの日本が、ヨーロッパのなかでも短命なウクライナより、がん患者が多いのは当然と言えます。
一方、老化とは関係がない小児がん患者にとっても、今回の戦争の影響は甚大です。
ランセットオンコロジー誌の論説によると、ウクライナでは、1500人以上の小児がん患者が治療を必要としています。小児がんは適切に治療すれば8割が完治しますから、治療の遅れや中断は大きなマイナスにつながります。
世界保健機関をはじめ、国際的な支援が始まっていますが、がんの進行は待ってくれません。ウクライナでの早期発見や治療開始の遅れは、日本のコロナ自粛とは比較できない規模の影響を与えるでしょう。「がん患者への人道回廊」の整備が進むことを願っています。
(東京大学特任教授)