<2025.08.10>再掲

<2022.06.26>記事


大学を卒業して2020年で30年を迎えた。当初この年に大学のキャンパスで卒業30年の集まりを開催する予定だったが、コロナの影響で延期となり、やっと今年の秋、開催することが決定した。

 

大学の卒業生をまとめているセクションから連絡があり、開催日程案が提示された。全国各地の大学同期の10人ほどに連絡を取り、その打ち合わせをZoomを使って進めているところ。

 

画面を通してながら久しぶりにライブで会う大学同期は、多少は外見の変化はあれど、基本的には当時とまったく変わっていない。懐かしい彼ら彼女らと楽しく打ち合わせができている。

 

「今回開催すれば、次は卒業40年の10年後、その時はみんな62歳だよ」

 

もう大学卒業から32年。ついこの間、「それぞれの道を/夢の旅人」(松山千春)さながら、本当の意味でみんな自分の道を歩き始めたばかりのような気がする。時の流れは本当に早い。

 

松尾芭蕉が「おくの細道」で「月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり」と詠んだとおりで、人もまた永遠の時間の中を旅する足早な旅人と言っていい。

 

そんな打ち合わせをしながら、ふと聞こえて来た松山千春「まだまだ」

 

2013年11月6日リリースのアルバム『生きている』のラスト10曲目収録。

 

 

ライブでは『コンサート・ツアー2013「生きている」』のツアー初日、2013年10月10日、府中の森芸術劇場のラストで聴いた。

 

 

歌詞の中に明らかなポジティブな表現は見当たらない。しかし聴き終えると、まだまだ頑張るぞ、と前に進もうとする決意が湧いてくる。松山千春の感情を込めた熱唱は、CD音源の域を越えて、ライブで歌っているかのようである。

 

 

同じように聴き終えて決意が湧いてくる曲、「まだまだ」と似た世界を作り出している曲と言えば、「凡庸」「自分らしく」など他にもいくつかあるが、真っ先に浮かぶのは「私の明日には」「夕焼け」「木枯しに抱かれて」。いずれもアルバム『木枯しに抱かれて』(1980年)に収録されている。

 

いつかはふるさと足寄に還り足寄の土に埋もれる。でも、もうちょっと歌わせてくれ。「まだまだ」歌いたいんだ。足寄に還るのは「まだまだ」先だ…。

 

その歌詞に自分のことを重ねれば―。もう54歳、定年が明確に見えている。このまま現役人生は終わるのかな?人生百年時代と言ったって、ここまでだいぶ歩いて来たな。それもあっと言う間に…正直にそう思う。

 

一方で、山梨から東京に出て来た時、大学を卒業して社会人としてスタートする時、自分の中で決めたこと、大きく言えば立てた「誓い」はまだ消え失せることなく、ある。

 

その誓いを「果たし切ったな、やり切ったな」と言えるまで、まだまだ頑張る決意は揺るぎない。今もいろいろあるし、これからもあるだろう。いろいろあるからこそ、まだまだこれから。

 

自分の人間的な成長もまだまだ完成への途上。まだまだ苦労して、まだまだ悩んで、まだまだ自分を磨いている道の途中。

 

松山千春「まだまだ」…そう聴き、受け止めている。

 

松山千春―「まだまだ」