5月1日の「松山千春 ON THE RADIO」
番組が始まってすぐ、また番組の中盤で、知床遊覧船事故について、「北海道で生まれ育ち、北海道で生きている人間として、本当に申し訳ない」とお詫びしていた。
東日本大震災にも触れ、「どんなかたちであれ、行方不明になっている家族と会いたいという気持ちはどなたも同じだと思う」と語った。
松山千春の沈痛な気持ちがラジオを通しても伝わってきた。
長渕剛は東日本大震災直後の2011年4月16日に宮城県各地を訪れた。航空自衛隊松島基地(東松島市)も訪れ、人命救助と復興に命をかける隊員たちを歌で励ました。この時6曲を歌ったが、その中に「いのち」も入っていた。
この曲には「海になりてぇ 激しくうねり狂うほど…」と「海」という言葉が何回か入っているが、長渕剛はこの「海」を「お前」に替えて歌っていた。津波により甚大な被害を被ったこの地のみなさんの心境を慮ってのことだろう。
あえて「海」を「お前」に替えた長渕剛と、「海」を背負って生きると捉えた松山千春。そこに良し悪しはない。二人とも被災地のみなさん、寝ずに家族の安否を思うご家族の気持ちを深く深く見つめてのことである。
(2分8秒~)
コンサートを終えてホテルに帰って一人になるとどうしても知床半島でのあの遊覧船の海難事故、今日(5月1日)で9日目を迎えるわけでありますけど。~この後、現時点で判明した明した事故の状況を語り、もっと早い対応がとれなかったのか、と思うと~悔しいなと言えば、悔しいです。
俺も北海道で生まれて、北海道で生きている人間ですから、このラジオ、番組を通して、全国のみんなに申し訳ありません、とくに家族や親せきのみなさんにはとんでもない苦痛を与えてしまっている。それを考えたら、北海道に住む者にとっては、本当に申し訳ないという気持ちと、残念だ、悔しい…。
また、出航を認めた会社側であったり、いろんな方々が関わっていたんだろうけど…。何を言っても言い訳にしかならないから、とにかく残り12名(同)、何とかして、一時は国後島のロシアの船が、見つけたんだけど、見えなくなってしまった、またリュックを拾ってくれて、銀行の預金通帳が入っていた、という話もありましたし、まだまだやれることはたくさんあると思いますし。
ここは本当に人道的な問題として、やっぱりロシアの方にも、“北方四島に、日本でこういう事故がありました、もし流れ着いたのなら、いろんなものが流れ着くかもしれませんが、日本側へ届けて欲しい”…そういう思いでいっぱいですね。

(22分10秒~)
今回はほんとに知床の遊覧船の海難事故、あってはならないことなんですが。思えば11年前、東日本大震災…。ん~、衝撃的でもあったし今でも目に焼き付いている。(…)未だ行方の分からないという方がたくさんいらっしゃいます。岩手県では1,110名の方、宮城県では1,213名の方、福島県196人、茨城県で1人、千葉県2人、青森県で1人、合わせると2,523名の方がいまだ行方不明、ということで。
やっぱりどんなかたちであれ、ん~、その人と会いたいよな。まぁ、結果的には、どういうかたちであれよ、やっぱりちゃんと会って、さよならして…。誰しも同じ気持ちだと思いますけどね。だからこそ、今回の知床、何としてでも、あと12名の方、見つけ出したい、そういう思いでいっぱいです。
次の曲は加川良と東京キッドブラザーズの曲なんですけど、これは「海を背負えば」と言う曲なんですけど。あの東日本大震災の時にも、私この曲をおかけしたんですけど。確かに、海で亡くなられた方…親きょうだい、親戚…しかし最終的には我々はその海を背負って生きていくしかないんだな、そんな思いで今回もこの曲をおかけします。
加川良と東京キッドブラザーズ「海を背負えば」
(アルバム 小椋 佳・加川 良『十月は黄昏の国』1975年8月発売 収録)