さだまさしが3月11日、『3.11』11年の日に、自身の月額制サイトやInstagramでコラムを発信していた(以下枠内に全文)。
それぞれ意義と歴史ある様々な日に、毎回自分なりのコメントを発信するさだまさしの誠意ある行為にはいつも感心する。
以下の写真は2017年8月に私がプライベートで訪問した宮城県石巻市「日和山公園」から撮影したもの。2011年のあの日、写真の最上川を津波が遡上し、街をのみ込む映像が残っている。
さだまさしは2011年9月23日、この日和山公園で開催された「復興イベント」で、弾き語りでライブを行っている。
その時の映像は、☟YouTubeで視聴できる。視聴された方もいらっしゃると思うが、さだまさしらしいセットリストとトークで、被災地の皆様に寄り添ったライブを行っている。
<さだまさし公式Instagram>
3月11日 Mass@Mania
「まさしコラム」より全文掲載
震災から11年
もう11年。まだ11年。
今でも忘れません。
この国の人々はこれまで、どんなに酷い目に遭っても立ち上がってきました。戦争や災害などでも。
11年前に自分の目で見たあの光景を僕は一生忘れません。あの厳しい状況の中で見た人々の笑顔に感動しました。
歌なんて無力だとすっかり気落ちしていたけれど、東北で歌った時の拍手の温かさと力強さに勇気を貰って、泣けました。ポッキリ折れてしまった僕の心を繋いでくれたのは被災した皆さんのキラキラと輝く瞳と拍手でした。
福島では放射能災害に見舞われて未だに家に帰ることが出来ない方が沢山居られます。11年帰ることが出来ない町を故郷と呼ぶその人々の心の強さと切なさに涙が出ます。
あの時に福島のとあるばあちゃんがインタビューに答えて言いました。「もしもこれが東京だったら、どんな酷いことになったんだろうと思うと胸が潰れる」それからこう言ったのです「(酷いことが起きた現場が)こんな田舎で良かった」と。僕は震えました。
自分はあれほど酷い目に遭ったのに「東京でなくて良かった」なんて、こんな美しい言葉を聞いて涙が止まりませんでした。東北の人達は昔から「我慢強い」とか「人が温かい」とか「粘り強い」と言ったけれど、この災害を通して東北人の強さと美しさを思い知りました。
それから僕は「もう応援してくれなくても良いよ」と断られるまでずっと応援しようと決めました。
被災した町はまだ少しも動き出していません。「復興」どころか「復旧」すら実現できていないのです。海辺の町は大きく作り替えられています。住民が望んだものではない町に変貌したところもあります。
開き直って申し上げるのならば「町を元に戻す」という幻想を捨てて「新しい町を造る」と考えた方が元気が出るかもしれませんね。
ただ、僕の故郷長崎も僕の少年時代からの風景がどんどん変わっていますから「故郷」という概念も変わってゆくべきなのだろうとも思います。
過去に縛られず、未来の夢を繋ぐ。そう考えれば、少し元気が出ますね。
まだ11年。もう11年。
3月11日は日本人みんなが心に刻むべき大切な日です。
忘れません。
がんばろう東北!!!