<2023.9.12>公式音源挿入
<2022.3.11記事>
「たとえば 明日が嵐であろうと 歩いて行けるさ 生きてみせるさ」
…ここ数日口ずさんでいる松山千春の歌。タイトルがどうしても出て来ない。
松山千春に限らず、長渕剛や浜田省吾、馬場俊英もだけど、私の中で曲のタイトルにそれほど執着していないことが裏目に出る。
ちょっと前に「松山千春検定」なるものが瞬間的に流行っていた。3択?4択?で曲タイトルと歌詞の一部を照合させるクイズみたいなもの。
やってはいないが、選択肢があれば100%正答できる。一方、これが歌詞だけあって、タイトルを当てるようなクイズになると、その歌は完ぺきに歌えてもタイトルが出て来ない可能性は充分ある。
冒頭の歌詞の曲のタイトルは…「君だけのために」
タイトルが分かれば、そりゃそうだったな、そうとしか付けないよな、と改めて分かる。
松山千春の曲タイトルの付け方、1988年から1991年頃までの4年間ほど、「転機」「提唱」「流浪」「蒼き時代の果てに」「途上」「雑踏」「ボーダーライン」「情景」「哀願」などに見られるように、積極的とも思えるほど歌詞に込めたメッセージや意図するところをピックアップして、タイトルにしている時期があった。この手法、個人的には気に入っている。
「君だけのために」
1999年8月1日リリースのアルバム『ガリレオ』の7曲目に収録
松山千春の意図としては、恋愛感情だけに限定したものではなく、両親や家族、友だち、ファンの人たち、これまで出会った人たちなどを思って作ったのかもしれない。恋愛感情だけの歌とはちょっと違った雰囲気を感じる。
ライブで聴いた記憶がない。まだ一度も歌われていないだろうと思って、夢野旅人さんのDBを確認したら、やっぱりそうだった。
私自身、とても気に入っている曲。
歌詞を文字のまま捉えて、こうした表現での恋愛感情を向ける相手はいない。妻以外にいてもいいとは思うが…いやいや、いたら困る。妻はそれを超えて、ここまで一緒に生きてきた同志のような存在。
ただ、上に推測した松山千春と同じ気持ちでこの歌に思いを込めると、やっぱりそれは恩師であり、両親であり、家族であり、妻、子どもたちである。ふるさとの友だちをはじめ、これまで出会った人たちであり、職場の仲間である。
「守る」という大きな言い方ではなく、いつも自分の中に一緒にいる感覚。その人たちのために「ありったけの力 勇気をたずさえ」生きる。
それが結局自分の人生にとって「確かに生きたと 胸を張れる」こと―そう聴き受けると、とてもすっきりとこの曲からにじみ出る松山千春ワールドを感じることができる。
「君だけのために」
君だけのために この歌を歌う
変わる事の無い 愛添えて
あの日から僕は 一人ではないと
思えるよいつも 君が居る
たとえば 明日が 嵐であろうと
歩いて行けるさ 生きてみせるさ
ありったけの力 勇気をたずさえ
守り続けるよ 君の事
たとえば はかない 人生だろうと
確かに生きたと 胸を張れるさ
君だけのために この歌を歌う
変わる事の無い 愛添えて
誰より 何より 大切なものを
教えてくれた 君がいる